言葉 | くろねこのブログ

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ねこです。
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人間は、言葉を使います。

ほとんど、言葉に置き換えて理解していませんか?
例えば、パッと目に入るもの、すべてに、同時に名前が浮かびませんか?


もともと、物とか事象が先にあって、
人間が現れて、
人間だけ(未知の何かが使ってるかも?)が言葉を作り出し、言葉を使ってる。

言葉が後づけ。


でも、反対に、どれだけ元の物とか事象をそのまま見れていますか?
見ただけで、聞いただけで、これは「○○」って、同時に強制的に言葉が浮かぶと思います。


本当は、人間が使うために、作った言葉。
言葉が主体になって人間が信じさせられてしまうことがあるなって思います。
(個人的には、そればっかりと思います)


例えば、嫌な気持ちの消しかた。
感情を観察する、とか、多分色んな言い方をする人がいると思うのですが、
私の場合、プロセスはこんな感じです。


もやもやしたものが、胸のあたりに強く発生する。
「むかつく」という名前が自動的につく。
「むかつく」という名前がついたことを認識する。
「むかつく」という名前を外して、名前がないものにする。
もやもやしたものが感覚的にあることに着目する。ちゃんとそれ自身があることを感覚で見守る感じ。
そのもやもや自体が、名無しになることによって「嫌なもの」とか、「不都合なもの」という感覚も外れています。
名無しのもやもやは自然に消える。スッキリ(^-^)


もし、この時、「むかつく」の名前をつけたままにすると、長引くと思います。
更に、「むかつく」理由も考え始めると、一旦おさまった場合も、再燃することがあり得ます。
また、関連する「むかつく」記憶と紐づけられて発生したときには、それが倍になったりするかも知れません。

「私にはむかつくことばかり起きる」
という言葉に変えた場合も、そのもやもやと自分を紐づけるので、また生じるのではないかなと思います。

あとは、もやもやがないのに、頭に「むかつく」という言葉が浮かんだら、なんかそんな気がしてきたり。


なので、この見方でいうと、もやもやは性質として消えるもの。だから消しかたは必要無くて、「継続の仕方」を人間が自動的に使っている。
っていう風になります。

私は、感覚的に言葉にされず処理されている事象を見つけることがありますが、
皆はどんな感じなのか知りたいな。


ふつうは、皆、言葉が本当のこと、という感覚。
私は人と接するとそう思うことが多いのです。

私自身も、意識するときは、そっちの感覚が多いと思うけれど、
それに気づくプロセスが生じることも多々あるので、
そういう時に、話の内容が合わないと、少しさみしくなります。