旅行に出掛けるなら、大きなカメラを持参すべし――。
偉大な旅行写真家になるには、それが必要だと筆者は1996年に考えていた。当時、インスタグラムはまだなかった。iPhone(アイフォーン)もない。デジタルカメラの革命が起こる前の話だ。
筆者は17歳で、バックパックで欧州を周遊する初めての冒険に出掛けた。持参したカメラはニコンのN50。重くてかさばる、見た目がプロ仕様の一眼レフだ。ボタンのほとんどが何のためにあるのかわからなかった。実際、今でもわからない。初めて大西洋を横断する多くの若者同様、自分探しだけではなく、アムステルダムの運河の夜景や、パリのカフェでたばこをくゆらす老人たち、ローマの広場の噴水ではしゃぐ子どもたちといった、ナショナル・ジオグラフィックばりの写真を撮影しようと考えていた。
欧州旅行は人格形成にも役立ち、目を見開かされる経験だった(チーズは本当においしかった)が、旅行写真の夢は粉々に打ち砕かれた。2カ月の滞在で撮影したフィルムはわずか2本。カメラは携帯するにはかさばりすぎたし、自分の「アート」に対してあまりにも自意識過剰だったのだ。撮影する価値のある風景を追い求めた揚げ句、実際に撮れたのは退屈な写真だった。通り、橋、教会の塔、何もない野原、また別の教会の塔・・・。
今日、筆者は旅行写真をドキュメンタリー映画のためのショットリストを作るようなつもりで撮影している。航空券、搭乗口、ホテルの部屋のレターセット、ベルボーイ、現地の通貨といったものだ。それ自体は退屈な写真だが、旅行写真のとらえ方が変わってしまったのだ。トレビの泉の完璧なショットはもはや最高の旅行写真ではない。旅行写真とは、ホテルを出て空港に向かった朝に聞いたスティーリー・ダンの歌をバックにしたスライドショーであり、Apple TV(アップルテレビ)のフラットスクリーンを流れるランダムにコラージュされた画像である。もしくはスマートフォン(高機能携帯電話)のアプリ「PicFrame(ピックフレーム)」を使って作成できる3枚続きの画像だ。(通勤時間に「アングリーバード」で遊ぶより有効な時間の使い道だ)そういった意味では、旅行の思い出を最もよく呼び起こしてくれるのは、ディテールに迫った即興的な写真なのだ。
フェイスブックのタイムラインや携帯端末で休暇のスナップ写真の一覧をさっと眺めるほうが、どんなにすばらしい1枚の写真よりも旅行の時と場所に連れ戻してくれる。
テクノロジーは旅行写真を完全にそして永遠に変えたわけではない。筆者はいまだにニュージャージー州とスイスの間のどこにでもありそうな風景写真を撮っているし、グーグルの画像サーチで出てくるものとまったく同じランドマークも撮影している。
ただ、写真があまりにも容易にどこでも撮影できるため、被写体のイメージをとらえるための技巧を意識しなくなっている。テクノロジーがわたしたちの日常のささいな場面に意味を与えた一方、わたしたちを怠慢な写真家にしているのだ。
記憶に残る旅行写真を撮影するためのカギは以下の2点だと思う。
1、ディテールに焦点を当てること
2、構成力を磨く技法や照明法の学習、もしくはよりコントロールが可能な撮影機器に投資するなど、撮影技術を上げるために時間をかけること
良い写真は強い記憶になる。たとえそれが、へこんだレンタカーの写真にすぎなくても。
(この記事は国際総合(ウォール・ストリート・ジャーナル)から引用させて頂きました)
ふむふむ。。