もう1年近く前のことだが、個人で利用していたグーグルのサービスが突然、使えなくなった。メール、書きかけの記事やメモ、写真、交流サイトで友人と交わしたメッセージ…。それらの情報すべてが、「アカウント停止」の一言で、触れることもできなくなった。利用規約に違反したためだという。そんな心当たりはない。
グーグルに違反はしていないと何度メッセージを送っても、なしのつぶてである。思い当たるのは、携帯電話で撮った写真を自動的にネットに送る「インスタントアップロード」という機能をオンにしたことだ。これとてグーグルがお勧めしてきたからオンにしたまでで、怪しい画像が含まれていたわけでもない。しかし、結局、アカウントは復活しなかった。
ネットで調べてみると、こうした憂き目にあっているユーザーは結構いるようだ。私のメールやら写真やらは、グーグルのシステムのどのへんに記録されたまま放置されているのだろうか。などと感傷的になろうとしても、それが世界のどこにあるのかもわからず、雲をつかむような思いになる。クラウドとはよく名付けたものだ。
情報をどこかに「預ける」ことで、どこからでも、どんな端末からでも引き出せる個人向けのクラウドサービスは、ここ数年で急速に利用が広がっている。パソコンにデータをパンパンに詰めて持ち運んでいた時代より、ユーザーははるかに自由になった。スマートフォン(高機能携帯電話)があれば、出先でも大概の用事を済ませられるようになり、パソコンが壊れてデータを失う危険も減った。仕事以外でも、例えば、健康保険証の写真をクラウドに置いておけば、旅先で病気になってもスマホで保険証を提示できる-と書けばその便利さがわかるだろう。
その一方で、「預ける」ことは半ば無意識で行われるようになっている。人気のiPhoneは、撮った写真をアップル社の製品間で自動的に共有でき、電子書籍は「しおり」の位置が手持ちの端末すべてで共有される。しかし、設定を間違えると思わぬ情報が他人に公開されたりもする。便利さの陰のリスクがよく見えないまま、クラウドは静かに浸透している。
筆者は懲りずに別のグーグルアカウントを取得し、また利用している。「凝った機能は使わない方が安全」などと周囲に助言しているのが情けない。便利と引き換えに、自分自身は進歩どころか退歩しているように思えてならない。(文化部次長 鵜野光博)
(この記事は社会(産経新聞)から引用させて頂きました)
ふむふむ。。