平成はどんな時代だったか?「誰もが迷った30年」 確かに、戦争はなかった? しかし、経済戦争には、負けた!(世界企業ランキング: 平成元年 (日本企業は32社) と平成30年 (日本企業は1社))
(スポーツや書籍も・・・「AI・GAFA(SNS)」への対策)
「内平らかに…とならなかった平成」
――まず、平成という時代をひとことで表すとどのような言葉になるのか、書いて頂けますか。
「内災外乱」ですね。私のまったくの造語です。
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そもそも平成という言葉は「内平らかに外成る」からきているわけですが、実際には内(うち)、つまり国内は決して平らかではなく、実にさまざまな災害があった。 そして外(そと)成る、本当に平和が訪れるかと思いきや、東西冷戦が終わってから湾岸戦争やイラク戦争などさまざまな紛争が続き、今も米中の貿易摩擦・・・と乱れているわけで、とっさにこういう造語を作ってみました。
――平成の30年間でもっとも印象に残った出来事はなんでしょうか。
この30年間を振り返って非常に深く印象に残る事件といいますと、やはりこれはオウム真理教の事件ですよね。
オウム真理教は宗教法人の認可がある宗教団体。ですから、何か変なことをやってるな、とみんなが思っていても、警察や検察にしてみれば、うっかり手を出すと宗教弾圧だと言われかねないというところがあって、ためらいがあったような気がするんですね。それが、あれよあれよという間に大変な事件になってしまった。それは捜査側の反省点ですね。
また、何で若者たちがあそこにひかれていったのか。そもそも既成の仏教なりキリスト教なり神道なりがあるわけですよね。そういう既成の宗教が若者にとって魅力に欠けているのではないか、既成の宗教団体はどうあるべきか、という反省を迫った事件でもあったと思うんですね。
「どうしたらいいかわからない」という閉塞感
――若者の悩みにマッチしたのがオウム真理教だったんですね。
バブルが崩壊して若者たちの間に閉塞感というのが広まってきて、どう生きていけばいいんだろうか、という悩みもあったわけですよね。東西冷戦時代は、世の中は非常に構造が簡単で、どっちがいいかという対立構造だったんです。それがなくなってしまった時に、さあ自分はどうしたらいいんだろうかという悩み、それをうまくすくい取ったのがオウム真理教だったと思うんですね。
ソ連が崩壊してロシアになりましたが、ソ連の時には共産主義という目標があったわけですよね。共産主義は、ソ連にとっての宗教のようなわかりやすい役割を果たしていた。それが崩壊した途端、ソ連の人たちも思い悩んだりして、その中で急激にいろんな宗教が出てきて、オウム真理教も実はロシアで信者を増やしたんですね。何となく日本もそれと同じような構造になっていたのかなという気がしますね。
――そのころ池上さんは変化をどうとらえていましたか?
ちょうど、首都圏のニュースのキャスターから、こどもニュースのお父さん役になる頃だったんですね。首都圏のニュースのキャスターのころには、横浜の坂本弁護士一家が消息を絶った、一体どういうことなんだろうというのを取材したり、インタビューしたりしていました。
そしてこどもニュースの担当になったら、オウム真理教の事件だということになって、警察が家宅捜索に入ることに。その時はとにかく子どもたちからの素朴な質問にどう答えるのかっていうことに追われていたというところがあります。 子どもたちから「サリンってどうやって作るんですか」みたいな質問や、オウム真理教の弁護士がテレビに出ていると、「悪いことする人を弁護してもいいんですか?」などという質問がきて、非常に素朴な子どもたちの質問に大人としてどう答えればいいのか、ということを考えていました。
そこで、そもそも日本の司法制度ってどうなっているんだろうかとか、あるいは彼らはどうしてこのようなことをやったのか、ということを非常に考えまして、当時はオウム真理教が出しているさまざまなパンフレットとか、彼らにとっての教科書のようなものを次々に読みましてね。自分なりに勉強してみたら、ヒンズー教と仏教を、彼ら流に独自に混交して、ちょっぴりキリスト教の終末論を振りかけた、そういう宗教の構造になってるんだなっていうのを感じましたね。
――時代が違ったら、ここまで多くの若者をひきつけることにはならなかったと思いますか?
ならなかったでしょうね。でも考えてみますと、日本でも新興宗教というのが広がっていったのは、1つは第2次世界大戦後の混乱期です。非常に貧しい中で、どうやって生きていけばいいんだろうかという時に、この宗教を信じると救われるとか、出世するとか、病気が治るよという、ある種の現世利益を追求するような、そういう形で新興宗教が広がっていきました。
もう1つは、平成のはじめです。バブルがはじけて以降、閉塞感の中でどうしたらいいかっていう時に、「こうすればいい」というのがなかなか出てこなかったのかなって思うんですね。目標がなくなってしまって、どう生きたらいいかってことを一人一人が突きつけられるわけですよね。 その時にオウム真理教のようにひたすらこれを信じて出家をし、ひたすら修業をしていれば輪廻転生から解脱できるんだよっていうと、ある意味楽なんですね。これ以上なにも考えなくていいわけですね。言われたとおりのことをやっていればいいというと、心の安寧が得られる。そこに彼らが魅力を感じたんではないか。
本当は民主主義の世の中で、一人一人がどうあるべきかってことを考え、一人一人が判断する、そういう時代であったはずなのに、政治の方も混乱が続いて若者たちの悩みに対応できなかったのかなと思いますね。
――一人一人が目標を見失ってしまった時代だったのでしょうか。
そうだったと思いますね。平成になる前は、東西冷戦の中でも日本国内でも、例えば社会主義を目指すんだという政治勢力と、資本主義の経済体制が大切だという勢力でも対立というのがあったわけですよね。
ところがソ連が崩壊し、中国の経済体制もまるで資本主義そのものになってきた時に、「社会主義ならいい」という単純な解決がなくなってしまった。
一方で、それまでは資本主義の側にも、格差が広がると社会主義勢力が伸びてしまうかもしれないので、「なるべく格差がないように」という配慮があったんです。でも「資本主義が勝ったんだ、資本主義バンザイ」ってなった結果、非常に格差が広がっていく。 そうすると格差社会の中でまた悩みを抱く人たちが出てきて、それに対する処方箋が与えられないまま今に至った、それが平成かなと思いますね。
――ほかに印象に残った出来事はありますか。
日本だとやっぱりオウム真理教の事件ですけど、世界で見るとやっぱりそれはベルリンの壁の崩壊ですね。壁が崩壊し、東西冷戦が終わった時に、ああこれでやっと世界に平和が来るんだと思ったら、湾岸戦争が始まっちゃった。
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要するに戦後の枠組みが外れてしまったために、むしろ世界各地でさまざまな紛争が多発する時代になった。これはやっぱり平成になってから世界で一番大きな出来事ですね。 個人的にはNHKをやめたというのがありますけどね(笑)
構造改革と規制緩和、そして選挙制度改革
――平成の時代には、国の制度でもさまざまな変化がありました。
平成になって世界が大きく変わる中で、日本がこれでいいんだろうかという。日本はすぐに“外圧”を感じますからね。「世界はこんなに大きく変わっているのに、日本がこのままでいいのか、実は日本というのはさまざまな規制によってがんじがらめになってるじゃないか、規制を取り払うことによってさらに一段と成長するんだ」といって、構造改革や規制緩和が始まりました。 そのこと自体は決して間違いではなかった部分もあると思うんですが、実際にやってみたらなにが起きたのかというと、一段と格差が広がってしまった。
大規模小売店舗法の規制があった時代には、デパートでもスーパーマーケットでも週に1度は休みがあって、そんなに深夜までは営業をしていなかった。それが何でも自由になった結果、非常に多くの人の過重労働につながってしまった。とにかくサービスを向上させなければいけない、それはその通りなんですけど、それによって非常に過酷な労働が増えてしまった。それが今、働き方改革ということにつながってきている。
政治改革もずいぶんありましたね。「金のかからない選挙制度にしなければいけない」と言って、小選挙区比例代表並立制にしてみた。これはこれで良さもある一方で、政治家一人一人が小粒になったんじゃないかとか、どうも昔のような大物政治家が現れないよね、これは選挙制度のせいではないか、という声も出てきた。これから検証していかなければいけないんですけど、いろんな政治の問題はみんな選挙制度に起因するんだ、みたいな議論がまた起きてきていますよね。
まさにこれから新しい時代を迎えるにあたって、平成の時に行われたさまざまな改革が果たして良かったのか悪かったのか、これを冷静に考えることができる時代になるんだと思いますね。今はまだ、それぞれ当事者がいますでしょう。制度を変えるときに旗を振った当事者がいると、なかなか言いにくいところもあるわけです。そういう人たちが表舞台から退場すると、非常に冷静に議論ができるという、まさにそういう時代かなと思いますよね。
「池上無双」が示すもの
――池上さんの選挙報道が若者にも人気を集めています。平成の30年間、メディアと権力の関係は、変わってきたと感じますか?
メディア一般で言えば、それはあまり変わらないと思います。かつて私が警視庁記者クラブで警察をずっと取材していた時に当時の先輩から言われた言葉があって「密着すれど、癒着せず」と。警察取材では、捜査員から話を聞き出さなければいけないですよね。その時に最初からけんか腰では情報が得られない。ちゃんと密着して取材をし、そして信頼を得て情報を得なければいけない。けれども、癒着してはいけない、という教えですよね。これはもうどこのメディアでも同じことだと思うんですよ。
政治の話だって経済の話だって、さまざまな事件取材だって、密着しなければ情報が取れない。だけど気をつけていないと、いつしか癒着することによって、当局にとって都合の悪いことは報じないでおこうとか、それによって相手の心証をよくして別の情報を得ようって考えたり、あるいは相手が伝えたいことを率先して伝えることによって気に入られようとしたり、という誘惑はいつでもあると思うんですよ。そことどう戦っていくのかというところにおいては全く変わらない、昔も今も同じことだと思ってますね。
私の場合は選挙番組を民放でやっているんですけれども、これはですね、選挙報道の王道というNHKがあるからこそできるんですね。 つまり「今それぞれの市町村で一体どれだけ開票されているのか」「誰が当選確実なのか」ということをちゃんとやってくれる番組があるから、ゲリラのようにそれ以外のところでいろんな工夫をしてみようということが成り立っている。
私がNHKで選挙報道をやっているころには、出口調査なんてなかったんです。ひたすら事前に取材をして票読みをしていた。そしてそれぞれのところで開票状況を取材して速報し、どれだけ早く「当選確実」を出すか、そのために事前に一生懸命いろいろ調べてきたわけですね。 ところが今は出口調査があって、8時になった途端に「獲得議席予想」っていうのが出ますでしょう。昔は、選挙の結果がどうなるんだろうかってずっとNHKの開票速報をくぎづけになって見てたわけですが、今は8時になった途端、「あっ分かった、もう結果わかったから見ることないよね」って他の局へ回しちゃうんですよ。
その点、今私がやっている番組の放送局は、幸か不幸か取材力がNHKほどなくてですね、綿密な事前の取材とか、あるいは当選確実を早く出すってことがなかなかできない。
だったらこれは選挙速報ではなくて、ちょうど開票の時に合わせて政治について考える知的エンターテインメントにしよう、と考えた。つまり全く違うものを作ってるということなんですね。
――どんな権力者にも鋭く切り込んでいくインタビューが「池上無双」などと呼ばれていますね。
それはね、言ってみれば私の今の立場があるからだと思うんですよね。継続的に政党や議員にずっと取材をしていると、「テレビで聞かれたくないことを聞くと、相手との関係が悪くなってしまう」って、ある種ブレーキがかかることはあり得るわけですよね。
私は今、完全なフリーランスであって、いろんなことを取材しますけど、特に政治のことだけを取材しているわけではない。はっきり言ってしまえばどこかの政党の党首に嫌われても私は構わないんですよ。別にそこで勝負をしていないから。だから誰にだってずけずけと聞くというのは、実はそういう私の立場があるからで、みんながそうすべきだって私は決して言いません。それぞれの立場があるだろうということです。
ただし、私のああいう形がもし支持されたとするならば、やはり視聴者は、政治家とメディアが激しく衝突するとか切り結ぶとか、そういう緊張関係を実は求めているんじゃないか。そういう意味では既存のさまざまなテレビのメディアにしても、もう少し取材対象との緊張関係を持つ、あるいは視聴者に緊張関係を持ってやり取りしているんだなということを分かってもらえるような、そういう放送のあり方ってあるべきじゃないかなと思いますね。
実感なき「幸せな30年」
――平成の時代は、幸せな時代だったといえるのでしょうか。
災害がずいぶん起きたり、あるいは若者への閉塞感があったり、ということで言えば決してそんなにいい時代であったとは言えませんけれども、ただ天皇誕生日にあたって、天皇陛下が平成を振り返って「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」ということをおっしゃいましたよね。
そういう意味では、世界中でさまざまな紛争や戦争があった中で、少なくとも日本ではそういうことがなかったということで見れば、世界から見れば日本っていうのは幸せな30年間だったと思いますね。海外に取材に行けば行くほど、ああ、日本てなんて幸せな平和な国だろうと思いますよ。
――幸せな30年間、といっても実感がないですね。
ないですね。実感はないけれども、こうして新しい年を多くの人が迎えられるっていうこと自体、実は世界の中で見れば日本というのは平和だったし、恵まれていたと思いますよ。 昭和の時代は戦争で彩られていましたからね。昭和って64年、まあ63年と7日間なんですけれども、本当に、第二次世界大戦をはさんで全く変わりましたよね。 その前は本当に、日本はさまざまな戦争をして、多くの犠牲者が出た。 戦後、非常に平和な時代が続き、それが平成になっても続いてきたんだと。
昭和はね、ひと言でくくれないんですよ。ところが平成はひと言で言えば、まあとにかく戦争なかったんだよねって言える時代ですよね。
――平和ではありましたが、閉塞感が漂っていた時代とも言えますね。
それで言うと、既成のイデオロギーというのが、もろくも崩れていったという時代だと思うんですね。 昔は社会主義とか共産主義が光り輝いて見えていた人たちがいたわけですけれども、それが色あせてしまった。そして一方で、資本主義が素晴らしいと言っていた人たちもいた一方で、格差が広がった。 しかも、このところ世界的に金利が非常に下がってますよね。そもそも資本主義っていうのは、金融の「金利」というのがあってこそ発展するんですよね。
融資を受けて新しい仕事をする、そして金利を付けてお金を返さなければいけない、ということは、常に成長していかなければ、金利の分のお金を返すことができないわけですよね。この金利があるから経済は発展してきた。
ところが今、世界中でどんどんどんどん金利が低下してしまって、ほとんどゼロに近いような状態になってしまっているってことは、つまり資本主義が発展しなくなってきているという証左でもあると思うんですよね。そういう時に資本主義がどうあるべきかっていうところでも、資本主義経済が素晴らしいんだって言っていた人たちの中にも反省が起きている。どちらのイデオロギーも色あせてしまった、そういう時代だったと思います。
新たな時代には新たな動き
――答えがないなかで、新しい時代にどう向き合って行くべきと考えますか
難しいですよね。とても難しい質問だと思うんですけれども。
例えばアメリカで、自分の国さえよければいいという人が出てきている。ヨーロッパでも、それこそイギリスだって、EUから離脱してイギリスファーストっていう考え方になったり、いろいろ混乱が広がってますよね。
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自分の国さえよければいいんだという考えが世界にわあっと広がっていく中で、しかし日本は今のところ、日本さえよければいいんだってことはしてないですよね。やっぱり国際協調が必要だということをやっている。これがギリギリ歯止めになっているのかなと思います。
一方で、アメリカでもヨーロッパでも「自分の国さえよければいい、というわけじゃないよね」という動きが出てきましたね。
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物理学に作用・反作用っていう考え方がありますが、何かが起きると必ずそれに対する反作用が起きるんですよ。平成の30年間っていうのは、東西冷戦が終わってグローバリズムが大きく広がった、世界が1つの大きなマーケットとなった、という作用が起きた。 そしたらその結果、ものすごく格差が広がってしまって、「自分の国さえよければいい」という反作用が起きた。それが現在だと思うんですね。すると、作用が起きて反作用が起きれば、またそれに対する反作用がこれから起きる。新しい時代、また新しい動きが出てくる、それを見るのが楽しみだなって思っていますね。
――新しい時代は、どんな時代になってほしいですか
「内和外平」です。
うち、国内はもっとそれこそ聖徳太子じゃないですけど、“和をもって”あってほしいし、外は平和になってほしいということですね。 日本国内でも今、さまざまなことで対立が起きたり、特にネット上でさまざまなヘイトスピーチが出てきたりですね、政治的にきちっと真正面から対立するのではなく、単なる揚げ足取りであったり、単なる憎しみの言葉を投げつける、そういう世の中になってきていると思うんですよね。それではやっぱりいけないわけで、意見の違いは違いとしながら、余計な対立ってのはやめたほうがいいんじゃないかという思いがあります。 外=世界はもう、平和であってほしい。そもそも平成というと、やっぱり外も平和であってほしいという意味の元号ですから。今度こそ世界が平和になってほしいという、本当にこれは願望ですね。
――新しい時代を担う若い世代にメッセージをお願いします。
今いくつもの大学で大学生を相手に授業をしているわけですね。そうしますと非常にはっきり2つに分かれてるんだなと。 ごく一部の学生たちは、これから世界で活躍したいと、こう思っている。中には、高校時代に、進学先として海外の大学を選ぶ若者たちも出てきているんですね。そうやって世界で活躍するにはどうしたらいいんだろうかって考えている人たちがいる一方で、多くの人が何でわざわざ海外に行くのと。海外に行こうとすると、親からそんな危険なところ、行くのやめなさいって言われたり、日本国内で全部済むんだからいいじゃないと言われたり、という、非常に内向きの若者たちが増えているという感じがするんですね。留学生も全体としては減ってきているというところがあります。
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若者たちにはですね、もう少し冒険をしてほしいと思うんですよ。若い間だからこそできる冒険、もちろんこれは必ず海外に行きなさいという意味ではないですよ、ただ、自分の殻にこもっているんではなく、もっといろんなことに挑戦してみてほしい、チャレンジして冒険してみてほしいと思いますね。既成概念にとらわれることなく、あるいはステレオタイプな物の見方に左右されることなく、自分の目で見て判断するんだ、人の言ったことを、ああそうなんだってそのまま鵜呑みにしないで、自分の目で見て判断する。そういう行動力と判断力を持った若者になってほしいと思います。
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昭和という「レガシー」を引きずった平成30年間の経済停滞を振り返る
(世界企業ランキング: 平成元年 (日本企業は32社) と平成30年 (日本企業は1社))
「平成経済全史 さらばレガシー、その先へ」です。30年にわたった平成年間の変化を、豊富なデータや写真、イラストを用い、さまざまな角度から検証した保存版です。果たして30年間で日本は何が変わったのか、そして何が変わらなかったのか──。平成最後の夏に、振り返ってみました。
平成元年「国民生活白書」の問題意識
戦争と平和、貧困と繁栄という明暗で彩られた六十余年にわたる昭和時代が幕を閉じ、1989年1月8日、平成時代が始まった。
同年の「週刊ダイヤモンド」1月21日号では、「“平成景気”への期待」という特集を組んでおり、斎藤精一郎・立教大学教授(当時)が、こんな談話を寄せていた。
「改元は、激動の昭和時代に心理的なピリオドを打つことで、21世紀を展望する平成時代へ、人々を本格的に立ち向かわせる契機を供する。身の回りから企業経営の現場までリシャッフル現象が広がるかもしれない」
当時は確かに、新しい時代の始まりとともに、あらゆる領域で新旧交代が進むという空気があった。
例えば現在、安倍晋三首相の肝いりで「働き方改革」が進められているが、その問題意識はすでに『平成元年版 国民生活白書』で指摘されており、「国民の所得水準が世界トップクラスになった半面、ゆとりを保障する労働時間の短縮が進んでいない」などとある。
世界時価総額ランキングの上位50社中、日本企業は32社!
平成元年と平成30年の世界企業ランキング
思えば平成元年、日本経済は“山”の頂上にいた。当時の世界時価総額ランキング上位50社中、日本企業が32社を占めていたし(今はたった1社だ)、GDP(国内総生産)をはじめとする各種経済指標も日本は世界のトップ水準にあった。日経平均株価は平成元年12月29日の大納会で3万8915円を付けた。地価高騰も凄まじく、東京23区の地価が米国全体の地価の合計を上回るといわれた。
「株も土地も永遠に上昇を続ける」。今では耳を疑うような話だが、“山”の頂に登った当時は、国も金融機関もそう信じて疑わなかった。
これらの現象はバブルだったとわれわれは後に思い知らされるが、当時は「これこそが新しい時代」と錯覚していたのかもしれない。
その後のバブル崩壊と、日本の凋落ぶりは今更言うまでもない。バブル崩壊後の“負の遺産処理”には「失われた20年」と呼ばれるような長い時間を空費した。
そしてその間、日本から「変革への機運」も失われていった。生活様式は変わり、働き方も多様化、労働人口や消費構造など、社会を形成するあらゆる土台が変化するにもかかわらず、決別するべきだった昭和の価値観はいびつな形で居座り続けた。
最近では、ダイバーシティ(多様性)の意味を全く理解していない自民党の議員が非難を浴びたが、日本大学や日本ボクシング連盟は今でも“昭和のリーダーシップ”で動いていることが露呈した。
惰性による停滞──。結局、30年を経てもなお、昭和という“レガシー(時代遅れの遺物)”を引きずったままという感は否めない。
もっとも、その中でも軽やかに新しい時代に適応した層は猛スピードで先を走る。主にデジタル分野では「新しい資本主義」ともいうべき経済ルールが台頭しており、もはや停滞は許されない。
豊富なデータや写真で
平成30年間を振り返る「保存版」
週刊ダイヤモンド2018年8月25日号表紙
「週刊ダイヤモンド」2018年8月25日号の第一特集は「平成経済全史 さらばレガシー、その先へ」です。
30年にわたった平成年間の変化を、豊富なデータや写真、イラストを用い、さまざまな角度から振り返った保存版です。
平成元年の本誌記事からは、当時の熱狂ぶりを窺ったり、銀行・証券・生損保、通信、小売りの5業界については、全340社が登場する30年間の業界再編マップを掲載。「あの会社は今、どこに?」という素朴な疑問が解消するかも。
国勢調査から見た「30年間で増えた職業、減った職業」、平成元年の経営者の持ち株資産額トップ10と現在の比較も興味深く、産業の栄枯盛衰が見えてきます。さらには、平成のあいだに皇室が訪問した98の国と地域についての「皇室外交マップ」など、とにかく資料性にこだわりました。
果たして30年間で日本は何が変わったのか、そして何が変わらなかったのか──。平成最後の夏に、来し方を振り返る助けになること請け合いです。
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平成のスポーツ名場面BEST50
第50位-シドニー五輪(柔道男子)
篠原信一 世紀の大誤審で銀メダル
第49位-リオ五輪(卓球女子団体)
女子団体で銅メダル
第48位-長野五輪(スピードスケート)
清水宏保が日本史上初金メダル
第47位-リレハンメル五輪
萩原健司の活躍でノルディック複合団体で2連覇
第46位-アトランタ五輪(サッカー)
優勝候補のブラジルを破ったマイアミの奇跡
第45位-メジャーリーグ
ヤンキース松井秀喜が本拠地デビュー戦で満塁弾
第44位-リオ五輪(レスリング)
伊調馨が女子史上初の4連覇達成
第43位-北京五輪(ソフトボール)
上野由岐子が413球の熱投で金メダル
第42位-シドニー五輪(柔道女子)
3度目の正直 田村亮子が悲願の金メダル獲得
第41位-リオ五輪(体操男子)
個人総合で内村航平が2連覇
第40位-北京五輪(陸上男子400mリレー)
トラック競技で日本勢初のメダル獲得
第39位-陸上男子100m
桐生祥秀が日本人初の9秒台をマーク
第38位-プロ野球
11.5ゲーム差を大逆転優勝!巨人のメークドラマ
第37位-テニス・卓球・バトミントン
日本人初!錦織圭が全米OP男子シングルスで準優勝
日本人初!大阪なおみ 女子シングルスで優勝
卓球 オリンピック メダル(福原愛 水谷隼)
バトミントン オリンピック メダルラッシュ
第36位-バルセロナ五輪(柔道男子)
古賀稔彦が金メダル獲得
第35位-リオ五輪(陸上男子)
400mリレーで悲願の銀メダル
第34位-リオ五輪(レスリング)
吉田沙保里が涙の銀メダル…4連覇ならず
第33位-プロ野球
広島カープが四半世紀ぶりにセ・リーグ制覇
第32位-ロンドン五輪(体操男子)
個人総合で内村航平が金メダル
第31位-アトランタ五輪(マラソン女子)
有森裕子が銅メダル
第30位-ボクシング
薬師寺保栄vs辰吉丈一郎!日本人同士の王座統一戦
第29位-ラグビーW杯
日本が優勝候補の南アフリカから大金星
第28位-北京五輪(競泳)
北島康介が世界新記録で金メダル!五輪連覇
第27位-メジャーリーグ
イチロー 日米通算4000本安打達成
第26位-アテネ五輪(体操男子団体)
「栄光への架け橋」で金メダル
第25位-サッカーW杯
日韓大会 日本代表が初のベスト16進出
第24位-サッカー
初代チェアマン川渕三郎が開幕宣言!Jリーグ開幕
第23位-プロ野球
田中将大が連騰で楽天悲願の日本一
第22位-WBC
原辰徳監督率いる侍ジャパンが韓国を倒し2連覇 (王監督 選手 イチロー)
第21位-高校野球
早実vs駒大苫小牧 決勝戦で引き分け再試合
第20位-プロ野球
驚異の視聴率48.8%!10.8決戦で巨人がリーグ制覇
第19位-メジャーリーグ
野茂英雄が日本人初のノーヒットノーラン達成
第18位-サッカーW杯予選
野人・岡野雅行の決勝ゴール!!ジョホールバルの歓喜!!W杯初出場
第17位-WBC
王ジャパン キューバを倒し、初代世界王者
第16位-高校野球
星稜vs明徳義塾 松井秀喜が5連続敬遠
第15位-平昌五輪(カーリング女子)
「そだねー」で銅メダル
第14位-平昌五輪(女子団体パシュート)
五輪新記録で金メダル
第13位-平昌五輪
スピードスケートで小平奈緒が金メダル
第12位-メジャーリーグ
イチローが262安打でシーズン最多安打記録更新
第11位-アテネ五輪(競泳)
北島康介が五輪で初の金メダル
第10位-シドニー五輪
高橋尚子が女子マラソンで日本勢初の金メダル
第9位-サッカーW杯
アメリカとの死闘を制してなでしこジャパンが世界一に
ロシアW杯 日本VSベルギー戦 2−3(9秒カウンター)
第8位-高校野球
横浜vsPL学園 延長17回3時間37分の死闘。松坂大輔が1人で投げ切り優勝!
第7位-サッカーW杯予選
視聴率48.1%!日本中が言葉を失ったドーハの悲劇
第6位-ソチ五輪(フィギュアスケート)
浅田真央がフリーで神がかった演技を披露
第5位-バルセロナ五輪
14歳岩崎恭子が競泳史上最年少で金メダル
第4位-トリノ五輪
荒川静香が女子フィギュアでアジア人初の金メダル
第3位-長野五輪
スキージャンプ団体が大逆転で金メダル
第2位-メジャーリーグ
大谷翔平が3試合連続ホームランでアメリカを席巻!!「知らんぷり」も話題に。
第1位-平昌五輪
ケガから奇跡の復活!羽生結弦が66年ぶりに五輪連覇!!
第1位-メジャーリーグ
イチロー引退!! 日本での開幕戦で引退決意!
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<平成30年の「書籍・思索の旅(好書好日)」>平成の30冊+α
1位 『1Q84』(村上春樹、新潮社、2009年)
2位 『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、早川書房、2006年)
3位 『告白』(町田康、中央公論新社、2005)
4位「火車」(宮部みゆき、1992)
4位「OUT」(桐野夏生、1997)
4位「観光客の哲学」(東浩紀、2017)
7位「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、2000)
8位「博士の愛した数式」(小川洋子、2003)
9位「〈民主〉と〈愛国〉」(小熊英二、2002)
10位「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹、1994)
11位「磁力と重力の発見」(山本義隆、2003)
11位「コンビニ人間」(村田沙耶香、2016)
13位「昭和の劇」(笠原和夫ほか、2002)
13位「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一、2007)
15位「新しい中世」(田中明彦、1996)
15位「大・水滸伝シリーズ」(北方謙三、2000)
15位「トランスクリティーク」(柄谷行人、2001)
15位「献灯使」(多和田葉子、2014)
15位「中央銀行」(白川方明2018)
20位「マークスの山」(高村薫1993)
20位「キメラ」(山室信一、1993)
20位「もの食う人びと」(辺見庸、1994)
20位「西行花伝」(辻邦生、1995)
20位「蒼穹の昴」(浅田次郎、1996)
20位「日本の経済格差」(橘木俊詔、1998)
20位「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ、1998)
20位「逝きし世の面影」(渡辺京二、1998)
20位「昭和史 1926-1945」(半藤一利、2004)
20位「反貧困」(湯浅誠、2008)
20位「東京プリズン」(赤坂真理、2012)
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トマ・ピケティ著『21世紀の資本』(山形浩生ほか訳、みすず書房)
加藤典洋著『敗戦後論』(講談社)
文系と理系はなぜ分かれたのか (星海社新書) 新書 – (隠岐 さや香 2018)
など)
平成時代に刊行された本の中からベスト30を選出しようと、朝日新聞では、識者の方々にアンケートを実施しました。120人から回答を得て、1位は村上春樹さんの『1Q84』に決まりました。1~3位作品への識者のコメントとともに、30冊のランキングを発表します。
1位 『1Q84』(村上春樹、新潮社、2009年)
『1Q84』はBOOK1・2が平成21年、翌年BOOK3が刊行された。夜空に二つの月が浮かぶ「1Q84年」の世界で、10歳で離ればなれになった青豆と天吾が再会するまでの物語。カルト教団も描かれたことで、高い注目を集めた。毎日出版文化賞。21年の年間ベストセラー第1位(日販調べ)で、単行本・文庫の累計部数は約860万部。
京都大教授の中西寛さんは「平成時代において最も注目を集めた文芸作品。野茂英雄が野球の世界で行ったように、日本語文学の世界性を意識させた」と解説する。コラムニストの堀井憲一郎さんは「平成時代は『村上春樹の時代』でもあった。この書籍に対する期待度と売れ具合は尋常ではなかった。日常生活でふつうの人が小説を話題にできた最後の作品だったかもしれない」と評価した。文筆家の青木奈緒さんも「平成の日本の世相を描いた、平成を代表する小説」とした。
2位 『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、早川書房、2006年)
ノーベル賞作家・カズオ・イシグロさんの『わたしを離さないで』は平成18年に刊行された。クローン技術で生まれた若者たちの、個人の意思ではどうにもならない過酷な現実が描かれる。
翻訳家の鴻巣友季子さんは「この恐るべき小説は平成という時代を映し出す。遺伝子操作による命(クローン人間)、臓器提供、生命倫理のゆらぎ、究極の格差構造……。現実に対抗し、描くにはSF的手法を用いるしかない」と推した。作家の湯本香樹実さんは「損なわれた世界の中でも輝くものが確かにあり、その輝きが普遍的」とつづった。
3位 『告白』(町田康、中央公論新社、2005)
『告白』は平成17年刊行。明治時代に実際に起きた大量殺人事件「河内十人斬り」をモチーフに、主人公が破局に追い込まれていく過程が、冗舌な河内弁でつづられた小説。谷崎潤一郎賞受賞。
学習院大教授の中条省平さんは「音楽的な口語文体が全編にわたって冴え、ある種の英雄叙事詩のようなスケールを獲得している。しかし、その底にあるのは、発するべき言葉を奪われた人間の悲劇という、明治以来日本の出発点にあった近代的自我の言葉による形成の問題だった。ポストモダンと呼ばれるにふさわしい『平成』において、こうした正統的な歴史認識に貫かれた小説が書かれたことは瞠目に値する」と評した。
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平成とともに進化した携帯型ゲーム機 (平成後は、「GAFA・AI」により、ゲーム機がなくなる?)
玩具メーカー「任天堂」(京都市南区)が携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」(GB)を発売したのは平成元年。GBは新時代の幕開けとともに世に送り出され、国内外で販売台数1億台以上を記録するヒット商品となった。それから30年。日本の技術力や発想力の象徴として世界を魅了したその“遺伝子”は、平成の世に進化を続け、さまざまな形で次の時代に受け継がれていく。
約5センチ四方のモノクロ画面に広がるGBの世界は、子供から大人までをとりこにした。開発者の一人、元任天堂社員の岡田智さん(72)=京都市伏見区=は「『必ず売れる』と自信を持っていたが、あれほどヒットするとは」と懐かしむ。
岡田さんによると、同社の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が人気を誇った昭和60年代初頭、GBの開発チームが発足。開発第一部部長だった故横井軍平さんら約20人態勢で、岡田さんは企画・開発を担った。
同社は55年に携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売。こちらも子供たちの人気を博したが、ソフトが内蔵型のため、楽しめるゲームは1種類。開発チームは、ゲームソフトを交換して多様なゲームが楽しめる「持ち運びできるファミコン」を目指した。
そして平成元年4月、GBを発売。同年6月にリリースされたパズルゲームソフト「テトリス」のヒットで一気に普及すると、8年には後にシリーズ化される「ポケットモンスター赤・緑」が発売され、GBは国内外で累計1億1869万台を販売した。
この間、ゲームギア(セガ)▽ネオジオポケット(旧SNK)▽プレイステーション・ポータブル(ソニー)−など他社も相次いで携帯型ゲーム機に参入し、小型化や液晶をカラー化した機種も登場。任天堂では16年に発売された「ニンテンドーDS」シリーズへと継承された。
平成の始まりにGBが示した技術力や発想力は、時代が変わろうとする今も継承されている。
開発第一部部長の横井さんが8年に任天堂を退社し、京都市内に立ち上げた企画開発会社「コト」。横井さんは9年10月、志半ばで交通事故のため亡くなったが、同社では横井さんの遺志を受け継ぎ、近年、タブレット端末で弱視矯正の訓練ができるゲームや、スマートフォンで表示するチケットに電子スタンプを押すことができるサービスなどを開発している。
コトの社長、窪田和弘さん(58)は「物事の楽しさに気付いてもらえる役割を持ったものやサービスを生み出していきたい」と話している。
スマホ普及、より多彩に
「平成」における携帯型ゲーム機の進化はめざましい。
ゲームボーイでは通信ケーブルを採用。「ポケットモンスター赤・緑」ではモンスターを交換したり対戦させたりするのに、子供たちが夢中となった。
16年に発売された「ニンテンドーDS」はケーブルに代わり、ワイヤレス通信やインターネットを使った通信が可能に。2つある画面のうち1つをタッチパネルとして操作に使えることも話題を呼んだ。
近年はスマートフォンの普及で、さらにゲームが手軽な存在になった。GPS(衛星利用測位システム)を利用したゲームアプリ「ポケモンGO」が28年に各国で配信されると、モンスターの出現スポットに多くの人が集まる社会現象に発展。運転中のプレーが原因の交通事故も多発した。
最近では米グーグルがゲーム業界への参入を発表。ハード(端末)にかかわらず、スマホやパソコンでゲームをダウンロードせずにネット上で楽しめる次世代のサービスを年内に開始する。岡田智さんは「情報端末の普及で、ゲーム業界はハードウエア(機器)の壁がなくなり、よりゲーム自体のアイデア勝負になってきている」と指摘している。
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<現役引退> イチロー今後は不透明「今日をもって元イチロー」(球団がイチロー選手の現役引退発表)<85分の会見 一問一答 も>(4368)4367=11✖️397 (素因数分解)
<平成30年の読むべき30冊?「書籍・思索の旅(好書好日)」>平成の30冊、1位に1Q84「平成は村上春樹の時代」
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完全理解 「フェルマーの最終定理」の研究 (数学・数理科学分野) (「フェルマーの最終定理の証明」の理解へ)
完全理解 「ポアンカレ予想」の研究 (数学・数理科学分野) (「ポアンカレ予想の証明」の理解へ)
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平成30年の読むべき30冊? 書籍
(個人的に、「平成30年間」に影響を受けた書籍(一部分))
<平成30年の読むべき30冊?「書籍・思索の旅(好書好日)」>平成の30冊、1位に1Q84「平成は村上春樹の時代」
平成30年の「120冊」 個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編)
平成30年間の31冊 個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編) 洋書(英語版)
平成はどんな時代だったか?「誰もが迷った30年」 確かに、戦争はなかった? しかし、経済戦争には、負けた!(世界企業ランキング: 平成元年 (日本企業は32社) と平成30年 (日本企業は1社))
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