モンクレール 店舗 京都
太平洋戦争末期の1945年、岐阜市の市街地の約8割を焼失し、約900人が亡くなったとされる岐阜空襲モンクレール 2015 BEAMSの証言のデジタル化が進められている。絶版となった証言集などから50人超の証言の収録を予定しており、一部の公開が始まった。9日で空襲から70年。証言を集める活動をしてきた「岐阜空襲を記録する会」の篠崎喜樹さん(80)(岐阜市五坪)は、「若い人に戦争の悲惨さを知モンクレール ハワイ ブログってもらえれば」と記憶の継承に期待を寄せている。(増実健一)
「200~300メートル離れたところにも、焼夷(しょうい)弾が着弾した。真上から降ってくるようだった」。岐阜駅周辺など長良川南部を中心に計約900トンの爆弾が投下された70年前の岐阜空襲。当時、10歳だった篠崎さんは長良川の北側に住んでいて無事だったが、「近くに迫る爆撃の恐怖は、今でモンクレールジャパン カスタマーサービスもよく覚えている」という。
戦後、高校教師になった篠崎さんが、同会を設立したのは74年。戦争体験者が減る中、東京や名古屋では空襲を記録する動きがモンクレール 店舗 仙台あったが岐阜では鈍く、「これではいけないと思った」。空襲体験者を訪ねて手記を募ったり、自ら聞き取ったりして証言を集め、76年に「火の海からの証言」のタイトルで約1000部を出版した。
その後も体験を語ったり、戦争資料を集めたりする活動をしてきた篠崎さんは一昨年、米国で発見された岐阜空襲の写真を収録した写真集を出版。交流のあった美江寺観音(岐阜市)の加藤弘春住職(59)がデジタル化し、同寺のホームページに掲載した。
一方、証言集は、絶版となり、篠崎さんの手元に残るのも2冊だけ。証言者も全員亡くなっており、「このままでは記録が散逸し、後世に伝わらなくなってしまう」と懸念する篠崎さんに、加藤さんがデジタル化の協力を申し出た。
加藤さんやその知人が、表現を現代風に書き換えるなどしながら作業を進めており、すでに6人の証言が、同寺のフェイスブックで公開されている。デジタル版には、「火の海~」には盛り込めなかった証言や、別の団体が集めたものなど約20人分の証言も収録される予定で、篠崎さんは「若い人に読んでもらえるのでは」と期待する。
「平和な時代が続き、40年以上も活動を続けられるとは思わなかった」。篠崎さんはこう振り返り、「今も空襲について知りたがっている人がいる。多くの人に体験を伝える活動をまだまだ続けていきたい」と話した。