「72時間」の生存率を信じて被災地に向かった息子たち
翌日12日、被災地入り

「見つけた人はみんな亡くなってた」
「ほんまに最初はマネキンかな?って思うくらい真っ白で
そやけど人やねん。すごい綺麗で生きてるみたいで、
亡くなってるのわかってるのに声掛けてしまうねん」

インタビューで語っていた内容と同じことを言ってた。

釜石で、毎日毎日俺たちが搜索してるとこに来るおばあちゃんがいてな
理由聞いたら「じいさん探してる」って
旦那さん見つけたとき「ありがとう。ありがとう」って言われた。
あのおばあちゃん元気にしてるんかな・・・

使命感とか違うねん。
早く探してる家族の元に帰してあげたい。って思いしかないわ。
3ヶ月間で200人以上の方見つけたけど、みんな顔覚えてるで
どこに居たのか。どんな服着てたかも覚えてる。

俺たちの部隊(施設科)は、孤立した避難所への道を復旧しながらの搜索やったから
救護者がいるかもわからへん場所での作業は、ほんま緊張した。

赤い旗は確認済
黄色は倒壊家屋の下はまだ見てない
白は撤去してよい
車とかに書いたペケ丸は救護者無し

大槌町はもっと悲惨やった。
大火災があったからそこで見つかる人は・・・

避難所の近くで作業してたら、子供らが遊びに来るねん。
たぶん手伝ってくれるつもりやねんけど
絶対怪我するから「危ないからあかん!」って怒られとったわ

最初の頃、ほんまはあかんねんけど、
配給されたレーション(食糧)やビスケットとか子供らにあげてた。
子供ら寒いのにお腹すいてたら体力なくなるやん。

普段、大食いの息子に自分は大丈夫やったん?と聞いたら
俺らは訓練で慣れとるがな!と


最後にあった
「自分たちの出番が二度と訪れないことを願いながら」

そしてもうひとつ
「作業が続いている間、任務は終わったと思ってません」と言った自衛官

息子も「釜石・大槌、早く復興せぇ~へんかな。ええ町やで」と言う

復興が終わるまで、彼らの任務は終わってない。