ディスコ・クラブ今昔物語02 | DISCO CATのブログ

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過去のディスコ・クラブ・ゴ-ゴ-喫茶・DJバ-等の写真/記事/資料(チラシ・ポスター・映画関係等)を集め、また過去の店舗名称使用イベント等を紹介。

学生だった頃のディスコは、まだフリーフード・フリードリンクがメインの時代でした。


僕の通ってた街、名古屋では。


カーニバルというディスコの初級編みたいな箱がありました。


現在のクラブのパーティーの貸切みたいではなく、通常営業が日曜日は昼間1時からやってるんです。


みんな鏡に向かって踊ってる(笑)


ないとふぃぃばー、ないとふぃばー!


みんな男はジョントラボルタ!


情報雑誌は、ポパイ ホットドックと続けざまに発刊され、学生がファッションに目覚め、デートのための

バイブル本となっていきます。


ティファニーのオープンハートを知ったのも、このときです。30年前だー!

三越が代理店となってましたので、三越のブランドのひとつと思っておりました。


マイケル・ジャクソンのモンスターアルバム スリラーの発売の前のことです。


話は 話はディスコに戻り。


DJブースは、今と違い、探さないと、どこにあるかわからないようになっておりました。

その当時は、9時前後と12時頃にチークタイムがありました。


ナンパの王道です。 男気を試す試練です。


何度もチャレンジしました、気持ちは神風特攻隊!


玉砕もしましたが、、、、、、、、、、、、、、、、たまには(笑)


逆にチークタイムになるとダンスフロア一杯だった客がドリンクコーナーなどに散りますので、

先回りして席の確保です。

当時は席もフリーシートですから。


ディスコナンパで最初に覚えたせりふは、席あるよ!


なかなか成功率、高かったなぁ! 娘と仲良くなり、コンパの約束をするのがパターンでした。


で、で、でも、ディスコスタッフがその日にお持ち帰りできてるなんて、モテルナンテ

全然しるよしもない若者でした(笑)