学生だった頃のディスコは、まだフリーフード・フリードリンクがメインの時代でした。
僕の通ってた街、名古屋では。
カーニバルというディスコの初級編みたいな箱がありました。
現在のクラブのパーティーの貸切みたいではなく、通常営業が日曜日は昼間1時からやってるんです。
みんな鏡に向かって踊ってる(笑)
ないとふぃぃばー、ないとふぃばー!
みんな男はジョントラボルタ!
情報雑誌は、ポパイ ホットドックと続けざまに発刊され、学生がファッションに目覚め、デートのための
バイブル本となっていきます。
ティファニーのオープンハートを知ったのも、このときです。30年前だー!
三越が代理店となってましたので、三越のブランドのひとつと思っておりました。
マイケル・ジャクソンのモンスターアルバム スリラーの発売の前のことです。
話は 話はディスコに戻り。
DJブースは、今と違い、探さないと、どこにあるかわからないようになっておりました。
その当時は、9時前後と12時頃にチークタイムがありました。
ナンパの王道です。 男気を試す試練です。
何度もチャレンジしました、気持ちは神風特攻隊!
玉砕もしましたが、、、、、、、、、、、、、、、、たまには(笑)
逆にチークタイムになるとダンスフロア一杯だった客がドリンクコーナーなどに散りますので、
先回りして席の確保です。
当時は席もフリーシートですから。
ディスコナンパで最初に覚えたせりふは、席あるよ!
なかなか成功率、高かったなぁ! 娘と仲良くなり、コンパの約束をするのがパターンでした。
で、で、でも、ディスコスタッフがその日にお持ち帰りできてるなんて、モテルナンテ
全然しるよしもない若者でした(笑)