課金について考える1 | iPadGamer

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このブログは、iPadに関するゲーム情報、攻略記事、プレイ雑感などをつづっています。取り上げて欲しいゲームがありましたらコメントにて。

とりあえず、Gamevilの基本無料ハクスラ系、Dark Avengerをプレイしてみている。


このゲーム、基本無料でアイテム強化や強力な武器等の購入に課金が求められるタイプ。難易度は、課金が存在するゲームなり。ステージが進むごとに急激に敵が強くなっていくため、前ステージまで余裕だった武器で次のステージが苦戦するということも多い。


しかし、これまでも何回か書いてきたとおり、かつてザンギエフ使いだったiPadGamerにとって、難易度の高いゲームというのは一向に苦にならない。課金する気はさらさら無いままに、数え切れないくらい殺されまくりながら、ステージを進めているところだ。



閑話休題。今回は課金のことについて少し書いてみたい。iPadゲームのブログなのに関係ないことを書いて申し訳ないが、ゲームが中々進まないのでご容赦いただきたい。

ご承知のとおり、最近のiOSゲームは課金前提のゲームがかなり増えてきて、その分買い切りゲームの旗色は悪い。このソシャゲシフトとも言うべき傾向は、今後とも変わらないだろう。
・・・というか、経済学的にはそちらの方が当たり前の行動だろう。喜んで数万円課金してくれるお客様が大量にいるなかで、あえて85円でも買ってもらえるか分からないような売り切りゲームに開発費を投じ続けるメーカーの方が、頭おかしいと言うこともできる。

もちろん、ソシャゲのメーカーが詐欺で金をだまし取っているなら許されることではないが、きちんとしたサービスを提供し、顧客に満足してもらって、メーカーも大金を稼げるなら、まさにWin-winの関係といえよう。その意味では、ソシャゲメーカーは既成概念を打ち破るイノベーションによる顧客創造を行っているわけである。(未成年に課金するガチャは、このあたり微妙)



ところが、いわゆるゲーマー層は、メーカーのこの態度を許さない。安易な金儲けに走らず売り切りを出せ、というのが、ゲーマー層の一般的な意見だろう。「じゃあ買うの?」と言われるとちょっと困るが、「買う買わないは客の自由だ。だが売り切りを出せ」との主張は崩れない。(正直なところ、iPadGamerにも多分にこういう感覚はある。)

しかし、このようなゲーマー側の意見は、石油革命に抵抗する石炭産業のようなもの。純粋に経済合理性からいえば、ゲームメーカーのソシャゲシフトこそが合理的な行動であり、「ソシャゲつくりません」宣言をする任天堂のようなメーカーはむしろ異端だ。



ただし、世の中というのは経済合理性だけで割り切れるものではない。効率とは離れたところで、大切にしなければならないことは世の中に幾つもある。典型的なのは「芸術・文化」だ。

例えば、能や歌舞伎は、ハリウッド映画と比べたら動きも遅いし大爆発もないし、観客動員数も少ないだろう(おそらく)。クラシックコンサートよりはAKBの方が客の入りは良いだろうし、名画より漫画の方が人気があるだろう(多分)。このように、経済合理性の観点だけ見れば、芸術や文化は切り捨てよう、と言うことになるかもしれない。だからといって、能楽堂を潰してカラオケルームを作ったり、美術館にアニメ絵だけしか飾らせないようにしようという話にはならないだろう(と思う)。

売り切りゲームも、正しくこれと同じだ。世の中はソシャゲシフトしており、売り切りゲームにはもはや経済合理性は無い。しかし、売り切りゲームには、これまで綿々と育くまれてきた長い伝統がある。その伝統を尊び、合理性とは別の観点から評価を行わなければならないのである。



・・・ということで、認識しなければいけないのは、今後は売り切りゲームのような腰の据わったアプリは「芸術・文化」として理解すべき、という点だ。

ある程度の規模のメーカーは、CSRやメセナの観点から、伝統文化の継承として、きちんと売り切りゲームを作り続けて欲しい。その原資を稼ぐためであれば、ソシャゲで幾ら儲けてもらっても良いだろう。ただし、収益の一環は、きちんと売り切りゲームに還元しなければならない。

また、我々ゲーマーの方は、芸術鑑賞のような文化的教養の一環として、きちんと売り切りゲームを買わなければならない。・・・そんな時代が来たと言うことではないだろうか。

(続く)