大河ドラマ

「光る君へ〈21〉旅立ち」
2024.5.26放送
NHK総合  NHK BS
こんばんは~照れ
今日は日曜日。
新しい回が放送されてしまいましたが、前回の「光る君へ」について書いていきます!

冒頭は、まひろ&宣孝の
夫婦漫才、予行練習のシーンニヤリ
佐々木蔵之介さんの宣孝、
いいわ~爆笑

宣孝については、紫式部が大河ドラマになるまでノーマークで、どんな人かまったく知らなかったけれど、なかなか優秀な中級官僚だったみたいですね。

醍醐天皇の外祖父であった、藤原高藤の息子3人の中で、いちばん後まで子孫が栄えたのは、次男・定方。
三条右大臣と称された彼の系譜は勧修寺流となりました。

定方の娘のひとりには紫式部の祖母もいますが、
勧修寺流として残っていったのは、定方の三男・朝頼の嫡男・為輔の系譜。

朝頼は三男であったため、同母の兄ふたりが公卿に列したのに対し、従四位どまりだったみたいですが、その子の為輔は頑張ったウインク
従三位中納言まで出世し、その後は勧修寺流で重きをなす”甘露寺家“の祖となりました。

堂上家として、朝廷の実務を担い(主に弁官)、摂関家の家司も多く輩出したそうですから。

したたかな中間管理職の一族だったのだろうな~びっくり

宣孝もそんな実務者として、能力抜群な雰囲気でした。
最初は、中宮の美貌ばかりに関心を寄せて、まひろの顰蹙を買っていましたが。

恋バナや下ネタが得意でないと、高貴な血筋の方々でも色ごとが大好きな時代ですから、
(なんせ摂関政治が天皇の閨を中心とした運任せの世界ニヤリ)

それを明るく、多少下卑に語り、ふざけた雰囲気を持たせながら、鋭い考察も披露できないと、権力者たちに存在を覚えてもらえないし、頼られないのだろうな。

宣孝の
”中宮の出家に発展した今回の騒動で、いちばん得をしたのは右大臣(道長)と女院(詮子)だ“
という発言に、目をまるくしたまひろ。
あの三郎が。
あんなに純心だった、おのれの愛した三郎が、果たしてそんな酷いことをするのだろうか。

それを確かめたくなって、
越前へ立つ前に、道長と会ったようです。

まひろの越前出立が近づく間、
長徳の変の騒動は続いていて。
伊周は最後の最後まで悪あがきニヤリ
有髪のくせに出家したと豪語する、伊周と実資のこのシーン。
楽しかったわ照れ
(秋山竜次さんの実資の場面はみんな楽しいキラキラ)

最後はゴッドマザー
高階貴子、登場チュー
平安時代のダメ母の代表みたいになってしまって。
才女で、幸せな愛され妻だったのに。
今も昔も、母の息子への偏愛には要注意ですね。

一条天皇は、母の同道を断固阻止する命令を出しました。
相当お怒りのようですが、史実ですかね?

引き離される貴子と伊周。
牛車から引きずり出されちゃって、手荒ガーン
罪人となると、ホントにこんな風に扱われてしまうものなのかしら?

そして、なぜか実資に同道して登場する右大臣さまえー
無言💦

なんのために登場したのか。
来る必要はなくない?
検非違使別当だけで十分では?
(もちろん演出なのですがグラサン)

のちのちに、まひろと会っていた時のセリフを鑑みると、
まるで事の結末を、自分の不甲斐なさのせいだと、確かめるためにやって来たかのようでしたが。

伊周たちから見ると、惨めな自分たちを見下しに来たように見えただろうなキョロキョロ
ちなみに、このドラマで
母の貴子は華やかな着物を身にまとっていますが。
史実では、夫・道隆の死後、出家しているそうです。

道隆の死が、長徳元年4月。
花山院との乱闘事件が、翌年正月頃。
伊周&隆家の左遷決定が4月。
実資による二条第への検非違使捜索が5月。
そして10月には、高階貴子はこの世を去っています。

悲しみの中にある、中宮・定子さまは、このドラマでは触れられないかもしれませんが、母の死に目にもあっていらっしゃるのですね。
そんな中、ききょうによって
『枕草子』が書き始められましたチュー
ここ、今回の最大の見せ場だったわ!

”春はあけぼの”から始まり、
だんだんと時がめぐり、
草子を手に出来るようになるまでの、定子が傷心から少しずつ立ち直っていく様が美しく描かれていて。
雅な場面がたくさんあって、とてもよかった飛び出すハート

まひろとの言葉遊びが、書き始めるきっかけになっていたことに、お怒りの枕草子ファンの方もおられるようですが。
(紫式部と清少納言は会ったことない説が有力だもんね~えー)

そんなことは全部飛んでしまうくらい、ききょうの、定子に対する忠義と愛が、あふれるばかりで素晴らしく、魅せられた爆笑
でもまぁ、出産のために実家の三条邸に入っていたはずの定子の懐妊が、高階一族のために隠されていることになっていたのには、わたしも抗議したいプンプン

一条天皇の立ち位置がおかしくなってしまったじゃない。
懐妊を知って呼び戻す流れになるようで。
それはちょっと頂けないわニヤリ

まぁ定子恋しさに呼び戻すという意味では同じですけどね。

この機会を逃すまいと、母后・詮子は一条帝の新たな妃の選定を始めました。
名前があがっていた
義子姫はの藤原公季の娘。
(公任とは関係ないてへぺろ)

公季は、道長の父・兼家の異母弟です。
斉信の父・為光も兼家の異母弟ですが、このふたりは母が違うキョロキョロ

為光の母は、醍醐天皇の第十皇女で、伊勢斎宮にも任じられたことのある方(雅子内親王)

対する公季の母は、同じ醍醐天皇の第十四皇女(康子内親王)

同じ天皇の内親王をふたりも妻にしているのね~藤原師輔はびっくり
九条流の祖だけある?
と思ったら。

実は師輔は、もうひとり醍醐天皇の内親王を妻としているらしいです。(勤子内親王)

3番目に降嫁した雅子内親王については『大鏡』に記述があるらしいので。
いつか読んでみたいなグラサン

けれど。
師輔の跡継ぎとなって権力を振るったのは、この高貴な血筋の息子たちでなく、年長の、受領階級の妻(盛子)との間の息子たち、
長男・伊尹(行成の祖父)、
次男・兼通、
三男・兼家なわけです。
(この三兄弟の同母の女子が、円融天皇の生母である安子)

この、次男・兼通の長男が顕光で。
道長の推薦で、新たに一条天皇の妃に選ばれていた、元子姫はこの顕光の娘。
顕光は、お母様が陽成天皇の孫(元平親王の娘)で、
奥様が村上天皇の内親王。

無能者として知られる、なんてWikipediaに書かれている気の毒な方ですてへぺろ

この大河では、権力者だけど善人の道長くんは、まひろに呼び出されて、例の六条の廃屋まで足を運んでいました。
前回、無言ですれ違った時と違い、えらく主体的なまひろ。

道長に、中関白家失墜にまつわる真相を尋ね、返答を聞いて(道長は陰謀説を肯定したけれど、まひろはやっていないと判断ニヤリ)
三郎を疑ったおのれを恥じる。

その後のやりとり、
なかなか染みましたウインク

「俺の無力のせいで、誰も彼もすべて不幸になった。おまえと交わした約束は、未だ何ひとつ果たしておらん」
道長は三郎のままなのね。

「これからどこへ向かっていけばいいか。それも見えぬ。おそらく俺はあの時おまえと遠くの国に逃げて行っていても、おまえを守りきれなかったであろう」

「彼の地であなたと共に滅びるのも、よかったのやもしれません」

お互い想いは同じと知って安心したのか。
道長は気持ちを切り替えます。

「越前の冬は寒いそうだ。身体をいとえ」

「はい。道長さまもお健やかに」

寄り添い、抱き合うふたり。
「この10年、あなたをあきらめたこと、後悔しながら生きてまいりました。妾でもいいから、あなたの側にいたいと願っていたのに、なぜあの時、おのれの心に従わなかったのか。いつもいつもそのことを悔やんでおりました。つまり、つまり」

「いつの日も、いつの日もそなたのことを」

道長の腕から顔をあげたまひろは、決意を新たにした目をしている。
「今度こそ、越前の地で生まれ変わりたいと願っております」

あ、やっぱりまた道長をふってしまうのねニヤリ

道長は、まだまひろに妾になってほしいと思っていそうなのに。
(だって、超未練がましい目をしていたグラサン)
けど、善人・道長くん。
また相手の意思を尊重。

「そうか」
としか言えないニヤリ

なんか道長が気の毒になってきたわガーン
まひろって、けっこう勝手な女なのかもしれません。
別れ際にまひろからディープキスするしチュー

まひろは生まれ変われても、
道長は一生引きずるなキョロキョロ

でも、そこが吉高由里子さんが演じているまひろ、という感じ。
紫式部としてはどうかと思うけど、吉高由里子さんのまひろだからオールオッケーウインク

ここで、場面は一転して
まひろは父・為時と共に琵琶湖の上にいる。
(琵琶を手にして。タジャレ?)

船旅は最初は晴天だったようですが、到着時には雨にあったようです。
(日記か歌に詠まれた場面なのかな?)

お供には乙丸。
いとは、惟規が省試?に受かって文章生となったため、都に残りました。
(この合格は、為時が任官したおかげだったりするのかな?)

すっかり立派になって越前へ旅立った為時には、道長から指令が。
まことは官人、もしかしたら戦人やもしれぬ宋人たちに、開かれた港は博多の津だけだと納得させ、穏便に宋へ帰国させること。

為時、指令拝受口笛

この場面が、当時の外交状況とどう合致するのか。
無知過ぎてわかりませんがニヤリ

ちょっとは史実を反映していることを祈るグラサン


以上、
雑記のような内容になりましたが。
前回の「光る君へ」でした。

今週のはいつ観られる(&書ける)かな~キョロキョロ


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お読みいただき
ありがとうございました。