こんばんは~
わたくし今まで
推し人物がいないため、
平安時代にはあまり興味がなかったのですが。
系図が大好きなので
なかなか平安時代も楽しい
(でも推しは見つからない)
今日は
前回の『光る君へ』で
婿入り先を探していた
このドラマのイケメン代表・藤原伊周(三浦祥平さん演)
母の高階貴子が、和歌の会を開いて、伊周の婿入り先に相応しい家の姫たちを検分していましたが。
Wikipedia によると、
結果的に伊周の妻となった方はこのお二方↓
A源重光の娘
B源到明の娘
(便宜上アルファベットをつけました)
ふたりとも源氏の娘
といっても、Bの方の父・源到明は、どういった系譜の方かわからず
顕長という男子がいたことだけ伝わっている方です。
情報が少ないってことは、妾なのかな?
その点、Aの方は情報が多いので、おそらくこの方が、いわゆる嫡妻で、このたびドラマで、ゴッドマザー高階貴子のお眼鏡に叶った方ではないか、と思われます
婿入り先は、結婚相手となる娘の個性より、その父の財力と地位が重要~なのが平安時代。
源重光は、その点どうだったかというと。
血筋は申し分ない。
醍醐天皇の孫です。
父は、醍醐天皇の第三皇子
代明親王
母は、藤原定方の娘
藤原定方の娘・・・
なんかどっかで聞いた気が~
と思ったら。
なんと!
紫式部の父方の祖母
(もしくは曾祖母)も、
藤原定方の娘なんですよ
みんな親戚だね、ホントに
話をもとに戻すと、
伊周の妻の父である
源重光は
この婚姻の頃
おそらく正三位中納言で、
最終官職は権大納言。
993年に権大納言の官職を伊周に譲って、上表辞任。
このことから”致仕大納言”という異名があるらしいです。
(『光る君へ』の現在は990年)
998年に76歳で亡くなっているそうですから、若い伊周の舅としてはかなり高齢の方だったみたいですね
996年の”長徳の変”の時は、まだ存命でしたが、出家していたため連座を免れました。
けど、実子の息子たちは連座している
婿のために実子がとばっちり💦
イヤな構図だわね
けど、この源重光って、
もうひとりの娘が藤原道長の妾となっているんですよ!
道長の七男・長信(東寺僧正)の母がその人で。
長信の生年(1014年)から明らかに、重光の没した後、兄弟たちの意向で、時の権力者である道長の妾になったのだろうな
いっときとはいえ、栄華を見た人の子でも、一歩間違えれば没落は免れない。
平安時代って、イメージよりもずっと過酷な世界で。
武士の世みたいに血は流れないけど。
多くの涙は流れた世みたいです
イケメン伊周には
源重光の娘である妻との間に
一男二女がいて。
嫡男・道雅は、没落していく家で育ったせいか問題行動が多く”悪三位””荒三位”と呼ばれ、評判が悪かったそうです
長女は、道長の次男・頼宗(母は源明子)の正室となりましたが、
次女は、彰子の女房として宮中へ出仕するという屈辱を強いられたそうで。
(のちには従兄弟の良頼、道長の四男・能信と結ばれている)
道長の権力って、相当凄かったのだろうな~と思ってしまいました
『光る君へ』の道長は、まだまだ”権力者”という感じではないですけどね。
どんな道長になっていくのでしょう。
楽しみです
以上、
ごちゃごちゃしてきたのでこの辺で
お読みいただき
ありがとうございました。