英雄たちの選択
「紫式部 千年の孤独
 ~源氏物語の真実~」
2024.1.6放送 BSプレミアム
こんばんは~照れ

土曜に放送されていた
「英雄たちの選択」のスペシャル、観ました!
新しい大河ドラマの主人公である「紫式部」と「源氏物語」がテーマでしたね。

ゲストは
国文学者 山本淳子さん
作家 高橋源一郎さん
法律家 山口真由さん
翻訳家 イザベラ・ディオニシオさん(イタリア出身)
高橋さんの発言は相変わらずおもしろく、山口さんのぶっちゃけトークも楽しかった爆笑
盛り上がる中、イザベラさんがかわいらしく語り、山本先生が落ち着き払って最後を締める。
バランスのいいゲスト配置だったと思いますウインク

磯田さんだけでなく、今回は女性ということで杉浦アナも参戦していて、現代若年女性らしい豪快な断定ぶりがおもしろかったです。
特別に、式部の当時の環境を知るためのコントがあり。
ハナコの3人が熱演していました。

以下、ネタバレあり⚠️

冒頭、いきなり見知らぬ文字(テルグ語、南インドの言語)の紙面が映し出されて。
いかに世界中で源氏物語が翻訳され(40以上言語)、愛されているか、が誇示されていました。
(翻訳本の中に表紙の絵が江戸時代の浮世絵風なのがありましたガーンなぜだ!?)

今から1000年前に書かれ、時代も国境も越え、読み継がれているのが「源氏物語」
世界最古の長編小説として名高いだけでなく、最古にして最高の傑作という評判もある名著。

わたしは、大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』を繰り返し熟読しているので、ストーリーは完璧にわかるのですがてへぺろ

源氏物語や、その背景の平安時代の歴史は詳しくないので。
なかなか勉強になりました。
生涯については、それなりに知っていたので、省きますが。

なぜ式部が「源氏物語」を書き始めたか、の理由として、
福岡教育大学 名誉教授、工藤重矩さんが、
それまでの”物語”の作者は男性、ある意味”片手間”に書かれたものだったため、精魂こめて書かれたものではなかった、とおっしゃられていました。
男性視線の作品では描ききれていない、女性を描ききれない、、そう思ったからこそ、式部は源氏物語を書き始めたのではないか。

書き始めの時期に、執筆されたと考えられているのが、
『帚木三帖』で、
『帚木』『空蝉』『夕顔』という三つの物語なのだそうです。
冒頭の『桐壺』が、書き始められたときは最初でないというのは聞いたことあったのですが。
この三帖が最初だったんですね。

一説には『夕顔』には、モデルとされている物語があるそうで。
『古今著聞集』にある、村上天皇の皇子である具平[ともひら]親王が、下級女官と月明かりの夜に遍昭寺で、似たような事件となったことが描かれているらしいです。

源氏物語と紫式部の研究は、いろいろ進んでいるらしいですが、
以前はここまで
「源氏物語」が、一条天皇と彰子の間を取り持つために、藤原道長が強烈プッシュして書かせたものだ、ということにはなっていなかったので💦
ちょっとビックリでしたキョロキョロ

『帚木三帖』を書いて、評判を勝ち取っていた式部が、彰子に仕えるため後宮へ出仕したのは1005年の年末で。
苛めにあって、5月までは出仕できなかったらしいですびっくり

紫式部日記が残っているとはいえ、いろいろはっきりしていることがあるのねニヤリ

光源氏の父・桐壺帝が桐壺更衣を愛したストーリーは、一条天皇と定子のことがモデルとか。
(人形製作 近藤洋子さん)

道長の要請で、彰子をモデルに源氏物語に登場させたのが若紫、のちの紫の上だ、とか。
(第1の選択がこれ↑道長の要請を聞くか、聞かないか)

光源氏と若紫は8才差。
一条天皇と彰子も8才差なんですってびっくり

他にも、にわかに信じがたい解釈があって、おもしろかったですウインク

大河ドラマではどう描かれるか、注目されている、
”はたして紫式部は藤原道長の妾(愛人)だったのか”
ということにも言及していて。

磯田さんが史料を持ち出していましたが。←週刊磯田ニヤリ
(『紫家七論』江戸時代の水戸の国学者が記した、源氏物語や紫式部についての注釈&論集、これに”ある系図に道長公妾の書き込みがある”とある)

結局どっちか、真実はわからないのですが。
そうであってほしくない!という意見が多かったですねニヤリ

山本先生が、
日記では主従関係なのに
歌集では恋愛関係
であるように読み取れる、とおっしゃられていたので、
真偽はホントにビミョーらしいですガーンガーン

こりゃ大河ドラマでどう描こうと、文句は言えない感じねニヤリ
イヤだな~💦
(わたしもそうであってほしくない一人なものでてへぺろ)

なんとか一条天皇と彰子を睦まじくして皇子を授かろうと、式部に源氏物語を描かせた、藤原道長。

無事に皇子を授かり、出産を終えた彰子は、この期にと、源氏物語を製本させ、一条天皇に献上します。
この時点で源氏物語は33帖だったってことですかね?

源氏物語は、
第1部~光源氏が栄華を極めるまで、1~33帖。
第2部~光源氏と紫の上が辛酸を嘗める、34~41帖。
(『若菜』から『雲隠』まで)
第3部~光源氏の子孫たちが主人公となる宇治十帖、42~54帖。

製本が献上された頃の紫式部は、物語を描くことを楽しめていなかったそうで。
源氏物語を描き続けることになやんだのではないか?とされていました。
(これが第2の選択。物語を書くのを続けるか、続けないか)

娘が皇子を産んだから、道長はもう目的達成ということでもなかった気がするのですが。

第1部まで書き、彰子が皇子を産んだことで、式部はその後道長にあまり忖度せず、物語を描き続けることが出来たというのは、あっかもしれませんね。

彰子もいつまでも父親の掌にいないだろうし。
母となった女は強いからチュー
その後は彰子自身が、源氏物語の執筆を後押ししたのかもしれない、と思いました。

宇治十帖の『浮舟』あたりは、おまり華やかではないので、若い頃は好きな部分ではありませんでしたが。
いま読めば何か響きますかねグラサン
仏教くさいイメージがある
宇治十帖ですが。

先生方が言われるには、
紫式部は、出家することが女性にとって安息の場・心の救いだということに、懐疑的だった、といいます。
(比叡山延暦寺横川中堂の聖観音菩薩立像)

誰か世に 永らえて見む
書き留めし
跡は消えせぬ 形見なれども

(わたしが死んだ後、この物語を読む人はいないかもしれない。でもかまわない。言いたいことはすべて書き尽くしたのだから)


いづくとも 身をやる方の
知られねば
憂しと見つつも
ながらふるかな

(どこへとも自分の身を置く処はわからないから、つまりこの現世しかないから、だから生きていくしかない)

何も信じるものがなくても、それでも生きていく。それが人というものだ。

紫式部がたどり着いた境地なのではないか、と山本先生はおっしゃられていました。
容姿といい、雰囲気といい、
お声といい、話し方といい、
理想的な女性学者先生だわ爆笑
ちょっと小池百合子さんに似ているかもニヤリ
著作、1冊は読もうと思いました!

杉浦アナは、紫式部のことを
この人は誰のことも信じきれていないんだな~と感じたそうで。
ちょっと寂しい人だったのかな、と言っておられました。

孤独だ、とイザベラさんも同意。

誰のことも受け入れられないタイプ、と山口さんも言い、
小説家はそうゆうものなのか、と高橋さんに尋ねて、
高崎さん、そう”それが小説家と断定。
けど”書くこと”
これだけは否定されていない、とおっしゃられていました。

ゲストのお喋りに、なかなか真実味があった回でしたグラサン


久しぶりに見た英雄たちの選択。

スペシャルなのに
なぜかNHKプラスでの配信がないようなのでガーン
焦りました💦
録画しておいてよかったわ。


今日も長々とありがとうございました。
お読みいただき感謝気づき

今後もよろしくお願いいたしますお願い