大河ドラマ「 鎌倉殿の13人」

第27話「鎌倉殿と十三人」

2022.7.17放送

NHK総合,BSプレミアム

こんばんは~照れ
 
2日空きましたが、
「鎌倉殿」の記事を書いていきますよ~飛び出すハート
 
今日も初出演の方々のチェックの続きスター
 
以下
ネタバレ
史実バレ注意
 
 
他にも書いておられる方がいらっしゃいましたが、
今回の「鎌倉殿」で特にビックリしたのがびっくりマーク
訴状取次メンバーである13人と
頼家近習6人が
まるで対立する勢力かのように描かれていたことびっくり
 
ラストシーンで
すったもんだのあげく
決まった13人の宿老たちを前に
第2代鎌倉殿・頼家公はのたまわれました。
 
「紹介しておきたい者たちがいる。
入れ!」
入ってきたメンバーの名を
年長?の北条時連(のちの時房)が紹介する。
 
小笠原の弥太郎
(小笠原長経)
 
比企の三郎
(比企時員〔ときかず〕

宗員とも伝わる)

 
比企の弥四郎
(比企宗朝〔むねとも〕)
 
中野の五郎
(中野能成〔よしなり〕)
 
江間の太郎
(江間頼時、のちの北条泰時)
 
北条の五郎
(北条時連、のちの時房)
 
↑左から
比企三郎宗朝
小笠原弥太郎長経
中野五郎能成
↑左から
江間太郎頼時
比企弥四郎時員
北条五郎時連

(別ジーンの画像のため順不同グラサン)

「わしが選んだ。
手足となって働いてくれる者たちだ。
信じられるのはこ奴らだけよ」
 
頼家は堂々と言うけれど、その主人を
不安そうに頼時が見つめている。
「これより、わしの政〔まつりごと〕は
わしとこの者たちで行う。
もちろん、
おまえたちと切磋琢磨してのことだ」
 
おまえたち=13人の訴訟取次のメンバー↓
えっと~これって
訴訟の裁定を
13人と、近習6人が
分担して競い合うってこと?ガーン
 
いやいや。
訴訟取次といっても
実務は文官たちがするのでないの?
 
わしの政って~
どこまでを指すの?
訴訟だけ?キョロキョロ
 
わからんことばかりで混乱ニヤリ
 
「新しい鎌倉を
皆で築いてまいろうではないか」
皮肉に、義時にむかって笑って
嫌味をいうことだけは忘れない、頼家。
 
(この前のシーンで頼家は義時に
同じことを言われているのです)
 
次回以降を観ればわかると思いますが、たぶん
近習たちが訴訟を取り次ぐことは
ないと思うのですよね~えー
 
 
比企の兄弟(能員の子)
三郎と弥四郎は
生年が伝わっていないので
年齢はわかりませんが、
 
弥四郎は、小笠原長経とともに
頼家が7歳頃
初めて鎧を着用して馬に乗った際に近侍しているので、
おそらく
頼家の乳兄弟だったのではないかと思います。
(勝手な想像てへぺろ
 
三郎はその兄で、
比企尼の実子である朝宗
(義時の後妻・姫の前〔ドラマでは比奈〕の父。比企一族の本来の嫡流であったかもしれない)
と酷似した字〔あざな〕なので、
こちらが嫡子?と思ったら。
 
Wikipediaによると
能員には、字が伝わっていない
与一兵衛尉という、長男らしき男子がいて口笛
こちらが嫡男ということになっていました。
 
この兄弟に兄がいたの、初めて知ったわ~同母かしらね?
このドラマでは登場していないし、
他のフィクションにも登場しているの、みたことなかったので~知らなかったわびっくり
 
ちょっと脱線アセアセ
近習のメンバーに戻ると。
 
小笠原長経は治承3年の産まれだから、この頃20歳くらい。
前述通り
頼家7歳の頃に既に近侍しているので、なんのコネかと思ったら~
長経の父・長清の姉妹に
大弐局がいるではないかびっくり
 
大弐局といえば、頼朝の御所で
いわゆる後宮?を仕切ったとされる女傑ニヤリ
頼家の養育係を務めたのち
実朝の養育係にもなっています。
 

父は加賀美遠光で、

あの武田信義(八嶋さんが演じた)の叔父にあたる甲斐源氏の一族。

 

母は和田義盛の姉妹というから~

またまたビックリびっくり

 

この叔母のコネで

長経は後宮?に出入りして

頼家の遊び相手になったに違いない。

 

ちなみに長経の母は

藤原氏と伝わりますが、

異説に上総広常の娘ともいう。

(長清の妻のひとりが広常の娘のためびっくり

 

鎌倉御家人、どこで血縁となっているか、わかったもんじゃないね・・・キョロキョロ

覚えきれなくてズドーンガーン

 

3人目、中野能成は

建久元年、同6年の頼朝上洛の際に

髄兵として名が見られるので~

明らかに、メンバーの中では年上のほう。

 

父は藤原助弘といい、

信濃国中野郷西条の下司職を務めた

藤原秀郷の末裔と伝わりますが。

木曽義仲・阿野全成・源頼朝に所領を安堵されている記録があるくらいで、実績が伝わっていません。

 

そんな助弘の子(娘婿とも、養子とも)である能成が、

なぜ頼家の近習のひとりに選ばれたのかは~わかっていないのですが。

 

おそらく

鎌倉初期において頼朝の主要な知行国であった信濃国で、

守護(目代を兼任)を務めた

比企能員と

なにか繋がりがあったのではないか、といわれます。

詳細不明ニヤリ

 

他のメンバーに比べると系譜は劣りますが、

のちの変事では重要な役割を果たしたともいわれます。

三谷ドラマではどう描かれるか。

注目ですウインク

 

このように近習たちの勢力図は、

小笠原長経を中立メンバーとしたら

比企派が3人ということになります。

北条派が2人。

頼時と時連。

 

けどですね。

ご存知の方はご存知ですが

『吾妻鏡』における

頼家の近習は5人と記されていて。

6人じゃない~えー

 

ハイ、三谷さん。

5人から6人に増やしています。

どうしてもここに

頼時をぶっこまなくてはならない理由があるみたいニヤリ

 

たぶん最初は6人で頼時もいたけれど、

ある件で頼時が頼家を諫めて

近習から外され5人になるびっくり

のだと思いますけど。

(そうゆうエピソードがあるグラサン

 

この辺り、次回ですかね?

 

『吾妻鏡』における記載では

頼家の近習は5人とされていながら

4人しか実名が書かれていなくて。

(小笠原長経・中野能成

・比企宗朝・比企時員)

残りの書かれていないひとりが

北条時連ではないか、といわれています。

 

なぜなら

蹴鞠仲間として記録に登場しているからキラキラ

今回の「鎌倉殿」でも

蹴鞠のコツを掴んで上手に蹴ってみせて

頼家に喜ばれて、褒美を貰っていましたが。

(あれ、砂金かな?)

 

北条五郎時連は

頼家の近くでもっぱら蹴鞠名人として名をはせています。

 

中野能成は

儀式の射手や猟犬の飼育係など

どちらかというと

狩猟のお世話係みたいな感じ?

(仕事の記録が多いから年長者かも)

 

小笠原長経は、現代に続く

あの小笠原流(弓馬術礼法)継承家の先祖ですから。

流鏑馬の射手を務めているし。

弓の名人のイメージいて座

 

頼家の趣味といえば

狩猟と蹴鞠なんですよ。

 

なので、このメンバーは

近習という名の

頼家・遊び相手集団だと

わたし、ずっと思っていましたえー

 

なので

13人と切磋琢磨すると聞いて

マジびっくらポンでしたわびっくり

 

そんな政治力~

こんな若造たちにあるわけなくない?

 

いちばん年長かもしれない

中野能成ですら、たぶん20代後半。

 

北条時連は、この頃25歳くらい。

 

小笠原長経が前述どおり20歳くらい。

 

比企時員は、ホントに

頼家の乳兄弟だとしたら、18歳くらい。

 

その兄の宗朝は、20代前半?

 

みんな実力も実績もあるとは思えない・・・ガーン

 

一方、13人のメンバーは。

 

三浦義澄 73歳

 

安達景盛 65歳

 

北条時政 62歳

 

梶原景時 60歳

 

三善康信 60歳

 

八田知家 58歳

 

中原親能 57歳

 

和田義盛 53歳

 

大江広元 52歳

 

江間義時 37歳


(すべて数え年)

 

比企能員

二階堂行政

安達遠元

 

この3名は年齢不詳ですが、

おそらく50~60代かな?

 

なんと、40代がいないガーン

(不詳組を除いてだけど)

 

そして、義時だけ

やたら若いよ~びっくり

 

なので、義時は

後世に13人の中に加えられた、とか

いろいろ言われちゃっていますてへぺろ

 

ドラマでは

後に尼将軍とよばれる

政子の鶴のひと声で

メンバー入りしていましたが。

 

確かにこの年齢層のなかでは

不自然よね~キョロキョロ


はっきり言ってみんなジジイニヤリ

当時の寿命を考えたら~

ヤバイ人だらけ?

(事実、何人かはこの後すぐに病死されます。けど長生きの人もいます。

武士は鍛え方が違うのかしら?)

 

義時を除けば

大江広元がいちばん若いのが意外キョロキョロ

 

ストーリーの中では

文官メンバーのリーダー格(エラそう)ですものニヤリ

 

今回も

 

「では方々、

仕事に戻るといたしましょう」

 

と最後に締めていたものね~チュー

(マジかっこいい飛び出すハート)

 

でも

承久の乱まで生き残るのだから。

若いの当然か。

 

ともかく。

 

この13人と

若造の近習6人が

切磋琢磨なんて出来るわけないのに。

 

そんなこと公式に宣言しちゃう頼家。

 

マジやばいってこと?ガーン

 

今後の展開を考えると

頼家をわざと

猪突猛進なバカ殿にしているようで。

 

なんか気の毒になってしまっている私ですニヤリ

 

せっかく

意気込んで頑張っているのにね~

2代目は大変だアセアセ

 

後鳥羽上皇のセリフどおり

”頼朝の跡目は重い”ね。

 

 

思ったより長くなりました。

 

脱線多くて恐縮です。

 

とりあえず本日はここまで。

 

明日は

次回の放送後になってしまいますが

第27回のストーリーを

軽くおさらいしたいと思います。

 

 

お読みいただき

ありがとうございました。