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宗員とも伝わる)
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父は加賀美遠光で、
あの武田信義(八嶋さんが演じた)の叔父にあたる甲斐源氏の一族。
母は和田義盛の姉妹というから~
またまたビックリ
この叔母のコネで
長経は後宮?に出入りして
頼家の遊び相手になったに違いない。
ちなみに長経の母は
藤原氏と伝わりますが、
異説に上総広常の娘ともいう。
(長清の妻のひとりが広常の娘のため)
鎌倉御家人、どこで血縁となっているか、わかったもんじゃないね・・・
覚えきれなくてズドーン
3人目、中野能成は
建久元年、同6年の頼朝上洛の際に
髄兵として名が見られるので~
明らかに、メンバーの中では年上のほう。
父は藤原助弘といい、
信濃国中野郷西条の下司職を務めた
藤原秀郷の末裔と伝わりますが。
木曽義仲・阿野全成・源頼朝に所領を安堵されている記録があるくらいで、実績が伝わっていません。
そんな助弘の子(娘婿とも、養子とも)である能成が、
なぜ頼家の近習のひとりに選ばれたのかは~わかっていないのですが。
おそらく
鎌倉初期において頼朝の主要な知行国であった信濃国で、
守護(目代を兼任)を務めた
比企能員と
なにか繋がりがあったのではないか、といわれます。
詳細不明
他のメンバーに比べると系譜は劣りますが、
のちの変事では重要な役割を果たしたともいわれます。
三谷ドラマではどう描かれるか。
注目です
このように近習たちの勢力図は、
小笠原長経を中立メンバーとしたら
比企派が3人ということになります。
北条派が2人。
頼時と時連。
けどですね。
ご存知の方はご存知ですが
『吾妻鏡』における
頼家の近習は5人と記されていて。
6人じゃない~
ハイ、三谷さん。
5人から6人に増やしています。
どうしてもここに
頼時をぶっこまなくてはならない理由があるみたい
たぶん最初は6人で頼時もいたけれど、
ある件で頼時が頼家を諫めて
近習から外され5人になる
のだと思いますけど。
(そうゆうエピソードがある)
この辺り、次回ですかね?
『吾妻鏡』における記載では
頼家の近習は5人とされていながら
4人しか実名が書かれていなくて。
(小笠原長経・中野能成
・比企宗朝・比企時員)
残りの書かれていないひとりが
北条時連ではないか、といわれています。
なぜなら
蹴鞠仲間として記録に登場しているから
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220724/02/iovehistory/59/ed/j/o1080084315150809304.jpg?caw=800)
蹴鞠のコツを掴んで上手に蹴ってみせて
頼家に喜ばれて、褒美を貰っていましたが。
(あれ、砂金かな?)
北条五郎時連は
頼家の近くでもっぱら蹴鞠名人として名をはせています。
中野能成は
儀式の射手や猟犬の飼育係など
どちらかというと
狩猟のお世話係みたいな感じ?
(仕事の記録が多いから年長者かも)
小笠原長経は、現代に続く
あの小笠原流(弓馬術礼法)継承家の先祖ですから。
流鏑馬の射手を務めているし。
弓の名人のイメージ
頼家の趣味といえば
狩猟と蹴鞠なんですよ。
なので、このメンバーは
近習という名の
頼家・遊び相手集団だと
わたし、ずっと思っていました
なので
13人と切磋琢磨すると聞いて
マジびっくらポンでしたわ
そんな政治力~
こんな若造たちにあるわけなくない?
いちばん年長かもしれない
中野能成ですら、たぶん20代後半。
北条時連は、この頃25歳くらい。
小笠原長経が前述どおり20歳くらい。
比企時員は、ホントに
頼家の乳兄弟だとしたら、18歳くらい。
その兄の宗朝は、20代前半?
みんな実力も実績もあるとは思えない・・・
一方、13人のメンバーは。
三浦義澄 73歳
安達景盛 65歳
北条時政 62歳
梶原景時 60歳
三善康信 60歳
八田知家 58歳
中原親能 57歳
和田義盛 53歳
大江広元 52歳
江間義時 37歳
(すべて数え年)
比企能員
二階堂行政
安達遠元
この3名は年齢不詳ですが、
おそらく50~60代かな?
なんと、40代がいない
(不詳組を除いてだけど)
そして、義時だけ
やたら若いよ~
なので、義時は
後世に13人の中に加えられた、とか
いろいろ言われちゃっています
ドラマでは
後に尼将軍とよばれる
政子の鶴のひと声で
メンバー入りしていましたが。
確かにこの年齢層のなかでは
不自然よね~
はっきり言ってみんなジジイ
当時の寿命を考えたら~
ヤバイ人だらけ?
(事実、何人かはこの後すぐに病死されます。けど長生きの人もいます。
武士は鍛え方が違うのかしら?)
義時を除けば
大江広元がいちばん若いのが意外
ストーリーの中では
文官メンバーのリーダー格(エラそう)ですもの
今回も
「では方々、
仕事に戻るといたしましょう」
と最後に締めていたものね~
(マジかっこいい)
でも
承久の乱まで生き残るのだから。
若いの当然か。
ともかく。
この13人と
若造の近習6人が
切磋琢磨なんて出来るわけないのに。
そんなこと公式に宣言しちゃう頼家。
マジやばいってこと?
今後の展開を考えると
頼家をわざと
猪突猛進なバカ殿にしているようで。
なんか気の毒になってしまっている私です
せっかく
意気込んで頑張っているのにね~
2代目は大変だ
後鳥羽上皇のセリフどおり
”頼朝の跡目は重い”ね。
思ったより長くなりました。
脱線多くて恐縮です。
とりあえず本日はここまで。
明日は
次回の放送後になってしまいますが
第27回のストーリーを
軽くおさらいしたいと思います。
お読みいただき
ありがとうございました。