ザ・プロファイラーIF
「戊辰戦争~敗れざる者たち~」
NHK BSプレミアム
2021年 9月 30日 放送
こんばんは。
昨日の続きです。
今日はなるべく脱線しないで、簡潔に書ければと思っております
江戸に帰った慶喜の足跡を追って、岡田くん、江戸城にやってきました石垣に萌えていた~
こうゆう有名人がオタクぶりを電波で拡散してくれると、一般のオタクたちも世間の居心地が良くなるというもの。どんどんやって
江戸城での戦があったら、新政府軍はかなり苦戦したとのこと。
番組的ではそこはあっさり、勝海舟の活躍ぶりに注目していました。
江戸焦土作戦も頭に入れていたといわれる海舟。
このあたりも基本知識レベルだったので、ここでは割愛させていただきますが。
岡田くんが、海舟の尽力した江戸開城について、
”何かを守ることができたなら、負けたとしても勝利と同じ価値かも”
と言っていたことだけ記録しておきます。
同じではないと思うけど
最低限のものは守れた、という想いだったのじゃないかな。
ここで、番組の舞台はどんどん北上。
新選組が鎮撫を名目に流山に布陣していたことや、
勝海舟のところに土方歳三が近藤勇の助命嘆願に訪れたことは、もちろんスルー
会津戦争も庄内戦争もスルー
焦点は函館戦争と
その主要な戦力だった軍艦・開陽丸のことになっていきます。
”北の大地で、ふたりのサムライは戦いの先になにを見たのか”
(ふたりって榎本&土方ね)
もうひとつのIF
②開陽丸が沈まなかったら?
に話は移っていきます。
仙台で、鶴田真由さんのご先祖、森陳明が新選組に合流したことは触れられていましたよ。
(一瞬だけど)
仙台から蝦夷地にむかった榎本の艦隊の人数は、およそ3000人。
そんなに少なかったかな~と認識を新たに
(コンサートとかで来てそう)
来たかった、と言っていました。
函館山の展望台↑は来たことなかったってことかな~
この先はしばらく番宣モード。
鶴田さんと土方さん所縁の地を巡ります。
カレーを食べてた
岡田くん、戦友が作ったのか~ロマンだ~を連発していました
間に、榎本と土方の生い立ち&函館までの経緯を軽く挟んでから、
五稜郭へ
函館市教育委員会学芸員・野村祐一さん登場。
星形の城がなぜ堅牢なのか、説明していました。
5つの陵堡があるということは死角がないということ。
敵にむかって十字砲火をあびせることができる。
大砲3や鉄砲隊1で撃って、実演してみせていました。
ご苦労様でした
おかげで五稜郭祭へ行ってみたくなりましたよ
榎本武揚は決して死ぬために蝦夷に来たわけではありませんでした。
北の大地に徳川の政権を創る。
そんな野望があった。
そのためには外国に政府(政権)として認めてもらう必要がある。
その必要不可欠な政治交渉を実現たらしめる、ミニタリーバランスとして開陽丸はありました。
それを自在に駆使できる乗組員たちもいる。
それが榎本政権を支え、諸外国がそろって中立を保ってくれた根拠でした。
ところが。
その開陽丸が沈んてしまった
ここに、1990年に復元された開陽丸(開陽丸記念館)がある
江差町教育委員会学芸員の小峰沙椰さんが案内していました。
開陽丸は榎本が留学したオランダで造られた最新鋭の軍艦でした。
江差町は頑張ったよね~水中調査、ホント頑張った!
復元されているのは知っていたけど~映像で細かく見たのは初めて
すっごく行ってみたくなりましたよ。
でも江差か・・・遠い
開陽丸に装備されたクルップ砲は飛距離が4キロだそう。
ひとつの大砲にだいたい7~10人が配備されていたとのこと。
開陽丸が沈んだ理由。
それは座礁。
嵐にあって操作不能になってしまったのです。
熟練の乗組員たちにもどうしようもなかったらしい。
江差には、沈みゆく開陽丸を、榎本と土方がともに見て嘆いたという、
”土方歳三、嘆きの松”↓があります。
土方さんが松を叩いたにしろ、叩かなかったにしろ、嘆いたのは確か
これに対する諸外国の反応は非常に早かったです。
2週間後には、榎本政権に対して中立の撤回を布告
アメリカは新政府軍に最新鋭の軍艦「甲鉄」を譲渡(売却の成立)しました
春を待って、新政府軍は7000人の兵をもって蝦夷地の攻略を始めます。
土方さんが”二股の戦い”で新政府軍を撃退したのはこの時ですが、制海権を取られている榎本側の戦局は依然として悪く。やがて二股の陣を撤退。函館へ戻ります。
新政府軍が函館へ総攻撃をかけたその時
弁天台場にて孤立した、森陳明を始めとする”新選組隊士の救援へ向かう”と、一本木関門から馬を走らせ、土方歳三は銃弾に倒れました
享年35才。
このあたりね~昔ずいぶん読んだのですが
けっこう忘れている・・・
大野右仲の記録があって、安富才助が付き添っていたんだったよね?
台場の新選組隊長は、相馬主計じゃなかったっけ?
森常吉(陳明)の役職まで覚えてないわ・・・
それはともかく。
一本木関門の土方さんの碑の前で手を合わせる岡田くんたち。
”自分の生き様(死に様)に共感する仲間だけを求めていた”と、鶴田真由さん。
”武士を貫いた土方の死は、近世から近代への転換とも受け取れる”と、小和田康経さん。
”日本を変えるつもりはなく、自分の手に届く範囲を必死に守ろうとした”と、岡田准一くん。
みんな考えるよね~
佐幕ファンにとっての函館戦争は、いろいろ深い
3人のなかでは私は岡田くんに近いかな・・・
土方さんが榎本政権にさほど期待していなかったという従来の見解は、当たっているのではないかと思います。
土方さんを演じた岡田くんがひしひしと感じたという、榎本政権内での孤独感
土方さんの記録って、函館ではホント少ない。
部屋に籠っていたらしいし、他の人と交流していなかったらしい。
みんな”らしい”ですけど
小説とかだと女と会っていたりしますけどね
榎本が切腹を決意した話。
その前に”万国海律全書”を新政府軍の大将(黒田清隆じゃなかった?)に贈った話。
明治になってから生き残って出世するから、いろいろと揶揄されてしまっていますが、榎本武揚、私はキライじゃないな~
(慶喜タイプだけど。もっとずっと陽気)
史実をひととおり番組にしてから、最後にシュミレーションしていました。
IF②もしも開陽丸が沈まなかったら?
開陽丸は沈まなかったら諸外国は中立を保っていた。
アメリカは「甲鉄」を売らなかった。
なので、開陽丸が活躍して新政府は撤退した
榎本政権、勝利!
けれど、いずれは負けた。
物資の量が違う。
開拓使・北方警備という形での生き残りを模索しただろう。
小和田さんはそう結論づけていました。
まぁ、降伏後、榎本たちが生き残って明治政府へ貢献した仕事も似た内容でしたから。
結果オーライ?
こんなところも人気のない理由なんだろうな~
無責任な一般人は悲劇が好きだから
でも、五稜郭での榎本たちの頑張りがあったからこそ、新政府側の人間もその誠意に感銘して、いろいろ重用してくれたのかもしれませんよ。
そのあたり、まったく勉強していませんけど
番組終盤。
”なぜ4人は敗北を自ら受け入れたのか”
”家族や知人を救うため負け方を探っていた”と小和田さん。
”(今の)時代をどう未来へつなぐか多層的に考えて最善の選択をした”と鶴田さん。
”(日本人の)負け方への美意識が犠牲の少ない革命につながった”と岡田くん。
う~ん。
なぜ自ら敗北を受け入れたのか、ね
負けるしかない状況だっただけ、だと思うけどな~
犠牲者を少なくしたい意識は、慶喜や海舟にはあったとは思うけど。
それはあくまでも戦を大きくしないためであって
政治的な意味合いが強い。
土方さんや榎本も、その意識は別になかったのでは?
犠牲者を少なくしたいというより、犠牲になるまでの間、少しでも長く闘おう、闘える場をつくろう、このままでは終われない
それだけだったと思いますけどね。
このあたりは共感できないシュミレーションでした。
北の大地を開拓した”敗者とされた者たち”として、仙台藩伊達家の伊達邦成に率いられた人たちが紹介されていましたよ。
(有珠、後の伊達市)
岡田くん、最後の訪問地は”碧血碑”でした。
函館で没した旧幕府軍、約800人を弔った碑。
サムライの生き方に想いを馳せる岡田くんの言、記録!
”なんだろう・・・サムライとして戦い続けていた、将軍として戦い続けていた慶喜だったり、トップがいなくなっても目の前にいる旧幕府軍を守ろうとした榎本だったり、守ろうとして無血開城した勝であったり、実際に前線で戦った土方であったり、それぞれが想い描くサムライの形っていうのは貫いたんじゃないのかな、っていうのは思いますけどね”
”負けた後ですからね。負けた後の姿って、わかっていてその「負の財産」を背負って生ききったんだと思うので。それがなにか、知るべきなのかな、て感じがしますけどね。演じた後にやるってのが、なんか嬉しかったですね。いい旅でした”
”燃えよ剣”を演じた後の、岡田准一くんの言です。
俳優の言ですけど。
多くの時代劇を演じてきて、歴史好きでもあり、長年学んでいる方ですから。
しっかり耳を傾けておきたいと思います
土方さんの場合、負けた後というのは、近藤勇の死の後かな?
その生き様は京都時代とまるで違ったと云われていますが。
生ききったのであればいいな、と思います
以上、今日も長々とありがとうございました。
岡田准一さんを、岡田くんと書いたのは、彼が単純に年下だからですよ
ずっと岡田くんと呼んでいましたので、親しみもあり書かせていただきました。
今後のご活躍も楽しみにしております
映画「燃えよ剣」どうしようかな・・
コロナ騒ぎ以来、すっかり人混みに行かなくなり、つい躊躇してしまうのでした
10/16公開でしたか?
ご盛況をお祈りいたします
お読みいただき、ありがとうございました。