著者は田原節子さん。
ページをめくってみると、田原総一朗さんとのツーショットが。
いつものテレビで拝見するお顔からは想像できない素敵な表情(失礼)で奥様と腕をくんで写ってらっしゃいます。
タイトルからもわかるように、この本は乳がんの闘病記です。
節子さんは炎症性乳がんというめずらしい病気を発症され、告知された当時5年生存率は1~2パーセントで余命3ヶ月といわれてから、5年以上も生きられたそうです。
その間に背骨、脳、目、大たい骨と次々と転移されますが、彼女ならではの好奇心いっぱいで前向きな時のあいまに、ガン友をなくされすごく落ち込まれたり、イリイリして感情を爆発させる事もあったりと、喜怒哀楽を全開にして(本人曰く)、闘病されていた様子が書かれています。
この中で、病気になってこだわったのは「生きる意思」で、それがどれだけ病人に対して大切な事なのかを身をもって教えてくれました。
節子さんの場合、治療中に抗がん剤がきかなくなってきたらタイミングよく新しい抗がん剤がでてくるなど、時期的にも運があったと、また、とても信頼のおけるいい主治医にも出会えた事もよかったとかかれていました。
でも最初の主治医に見切りをつけ、今の主治医が一緒に闘おうとしていってくれるまで、治療の続きしてくれるドクターを求めて迷子の子犬のようにさまよったというのに、悲しいかな、誰も相手にしてくれようとしなかった。
そして偶然出会った青木先生とおっしゃる方のペインクリニックにかよううちに、患者の心構えというものを説いてもらって、ついに転院する決心がついたのは「自分の命を大切にしなさい」といわれたからだそうです。
そしてその青木先生さえも主治医探しに苦労してやっと、引き受けてもいいと答えたのが聖路加国際病院外科医長(現在乳腺外科部長らしい)の中村清吾先生。
聖路加国際病院は確か絵門ゆう子さんも乳がんで入院されていましたよね。
文中にも絵門さんとのかかわりがあった事がでてきます。
絵門さんの「がんと一緒にゆっくりと」は確か退院後にむさぼるように読んだ記憶があるのでまた感想upしたいと思います。
この先生は最先端治療を進めているドクターの一人だそうで、新しい治療情報にとても詳しく、節子さんのどんな質問にも答えてそして治療法についてもきちんと説明してくれている様子がよく出てきます。
特別寄稿として先生が寄せた「節子さんとがんの理想的な付き合い方」というコラムにもあるとおり、節子さんとも病気ともがっちりと向きあって、治療方針を決めるのもじっくりとその人にあったやりかたで、進めていかれたようです。
主治医選びの事について、いくつかポイントがありました。
病院の名よりもドクター個人で選ぶ。
手術件数の多い病院(年間100件が目安)の方が望ましい。
他科ともいいネットワークを持っている頭が柔軟なドクター。
最新のがん情報を積極的に吸収しようとしている(彼女の独断で40代から50代)勉強熱心なドクター。
まさに彼女は理想の主治医にめぐりあえたようです。
でも現実は、難しい。
医師不足で医療にも地域格差があり、麻酔医や産婦人科医がいるだけましだなんてところもあります。
それでも自分で納得のいくいい治療をうけたい、あるいは受けさせてあげたいという情熱があれば思いは届く事もあると知りました。
日本のがん治療はここ10年ほどで飛躍的に進化をとげ、抗癌剤や、治療方法やシステムなど自分にあった方法を多くの選択肢の中から選ぶ事ができるようになってきたそうです。
そして今も進化し続けています。
主治医によって、治療方針が決められてしまうのではなく、患者は自分の病気をしっかりととらえて理解し、意見や質問などもバンバンと言えるぐらいでないと、自分の命に関わる事ですからその点では私はとても無責任でした。
恥ずかしい話私は無知もいいとこで、病院や医師によってもっている治療法が違う事があるなんて、インフォームド・コンセントや、セカンドオピニオンなど、この病気になるまで知りもしようとも思いませんでした。
今はネットで最新の情報を調べる事も可能だし、サイトやブログの闘病記を参考にする事もできます。
この本を読んで、患者は医師にいわれるがままに受身になっていないで、自分で自分らしい選択をしようと思えばできるのだ、と改めてさとりました。