今朝は朝から母の1回忌について
会場と打ち合わせをした。

母親が亡くなって、もうすぐ1年になる。

玄関には母の写真が置いてある。
扉を開けるとすぐにある。

私にとって母の存在はかなり大きい、
もちろん私を生んでくれたヒトだが
そういうことじゃなく、

今の私の人生はこの人がすごく影響している。


1度では書き切れないから
何回かに渡って書こうと思ふ。


まずは新しいとこからにしよう。

去年の11月に亡くなったが、
亡くなったのは病院で、
家族全員で看取った。

心臓がとまる瞬間を覚えている。


あぁー、お母さん死んじゃったんだなー


と、
すごく冷静に見ていた。



病室に入って来た看護師さんが


亡くなられてもご本人の魂は
まだこの辺りにいらっしゃいますから、
ご家族で話をしてあげてください、


って言われて、


その言葉がとても暖かく感じて

ものすごく感動した。


母は16年もの間、闘病していた。

私が25歳の時、脳梗塞で倒れた。
医者からは99%助からないと言われたけど

死ななかった。


でも、重い後遺症が残り、
去年亡くなる日までずっと寝たきりだった。


うわぁー、そりゃ大変だねぇー


って思いますよね??

えぇ、そりゃ大変でした(笑)


でも1番大変だったのは母だ。



亡くなった後、
あまり泣かなかったのは

悲しみよりも


これで病から解放されたね、


良かったね、

って気持ちが1番大きかったから。

そこはこの先もずっと同じだろう。




母が倒れた当時、
私は東京に住んでて
マジメに音楽活動なんてしてなかったからだろう、


毎日毎日、父や姉から電話があり


帰ってこいと言われた。


ああだこうだ理由を付けては
帰らないと主張して

すごく揉めた。


そこから2年間帰らなくて、
その2年間が人生で1番濃かったなと思ふ。


なんていうか、
都会から田舎へ戻るってさ


負けた感があって、
このままじゃ普通の女の子で終わってしまうとか


そんなどうしようもなくくだらない考えを
持ってたな。


ダラダラ遊んで暮らしてたし
思えば、自分の人生を
一生懸命生きていなかったのかも。

グラグラしてたんだね。


だってねー、
場所なんて関係ないもんね、

要は自分自身がどうあるかが大切でさ、

都会が良くて田舎はダメとか
まったくもってアホくさ(笑)



母が倒れてからの2年間で
たくさん曲を書いた、
たくさんライブしたし、
自主でCDも何枚か出した


人間関係の幅がガーーーっと広がって、


ファンと呼べる人も増えて
ものすごく充実してたと思ふ。


ギュッと凝縮して書いたが

その後の音楽家としての人生があるのは
ここが本当のスタートだったと思っている。


そう思ふと
くだらないプライドも役に立ったな(笑)


寝たきりの母は大変だったと思ふ、


が、
私は母の病気のおかげで
人生が変わったと思っている。


25歳の時、


後遺症が残ると医者から言われたが
母が生きてくれたことが嬉しかったし、
それにすごく泣けた。


病院から父と帰る車内で


「俺はなー、どんな状態であっても
母さんが生きてるってだけでいいんだー」


と父が言っていた。


同じこと考えてるやん、、、笑


あー、この人やっぱり私の父親だなーって思えて
なんか笑えた。




何度も言うが
母は大変だったと思ふ、


でも私たち家族は
母が生きてるという事実に支えられて
生きて来られた。


母のこと、
まずはここまで。