人は幼少の頃から数字と付き合わされてきた
象徴的なのは、学校のテストの点数である
学校教育でテストの点数は人の優越を図れる尺度として
使いやすいからである。しかしこの枠で教育を進めていくことは
考えてみれば大変に恐ろしいことである
それは煩雑な教育現場にあって、人間尊重の言葉が
ないがしろになってしまう危惧、さらには画一的な教育が大学や
会社社会へも浸透し数字に取り憑かれて執着してしまった人(親、
順位や成績、今月の売り上げなど数字が低いことを、極めて
深刻に受け止めて、強い劣等感を持つようになってしまうのである
しかし、本来人間は画一的であるはずがないから
そこの歪みが社会的ストレスとなるのは当然のことである。
幸い私は小学生から現在(笑)までドロップアウト人間で
このような教育昇進レースとは無縁に生きてきたが
場合によっては先日の大学殺傷事件のような、
不幸な事件が起こる事も過去の事例からしばしば起こる。
さて釣りも様々な数字が入り込んで人々を一喜一憂させていてる
しかし、大抵は魚に負けてしまい。その結果
自然や魚に対して畏怖の念を抱くことで
人間は精神的にも成長していくものだと思っている
さて、究極の数の誘惑とはお金の数とも言えるかもしれない
お金があるほど幸せになれるという考えは
時に人間の心身を蝕み、人間にとってもっとも大切な
心と時間の豊かさを忘れ去ってしまう
とかく、経営者ともなると、会社を大きくしたくもなるし
立地のよい所へ自社ビル建てて、豪華な家も建てて
高級車を乗り回して多少の見栄も貼りたいと若い頃には思っていた
しかし、そんなことを維持するがために
もっとも貴重で尊い時間や仲間というものが様々なことで奪われて
実際私のような小さな会社にさえ、様々な取材やら広告やら
業務提携やら美味しそうな話の電話が連日押し寄せてくるが
そもそも、多少の売り上げを伸ばしてまで、豊かな時間を
忙殺されていくのが嫌なので全て丁重にお断りをしている
今でもIOSは一切のメディアに広告を出さないのもそのためであ
広告を出さないと言われるテスラモーターのイーロン・
私もアーンド・メディアに価値を見出している
アーンド・メディアとは、製品やサービスに満足した顧客が、
様々な媒体で発信してくれることであり。IOSとしても、
優秀なコミュニティーや口コミに助けられてる所が大きい
さて大変前置きが長くなってしまい大変恐縮だが
リールにとって数値のスペックも、
素晴らしく、私も無視できないファクターとして
比較する時の尺度として捉えているが
しかし、だからと、それを好きになることとは違う
極端な例をとれば、カーディナル33とステラである
ステラは上質な巻き心地で、家でディスプレイしても綺麗である
値段も高いからステータス性もある、反面私が、
復刻カーディナル33は、重くて無骨で、ベアリングも1つしか
入ってない。見た目もステラほどゴージャスではない
それが、いざ川に持ち込んだらどうなるか?
ステラは石ゴロの上に置いたら気を使うけれども
カーディナルならイワナと一緒に石ゴロの上に置いたほうがサマに
多少の傷一つがステラなら気になって部品交換したくなるが
カーディナルなら気にならない所か、傷ひとつが実にサマになる
性能面でも、カーディナルのオートリターンは連続した落ち込みを
アップで打っていくには好都合だし、巻きの弱さがむしろ
水深のレンジ変化を絶妙に捉えるのである
これには巻きのパワーで勝るステラでは、
頼もしいものの、とかく渓流域のストリームにおいては使いずらい
数字やスペックとは、
しかしリールは釣りの道具であることをわすれてはいけない
森羅万象この世の全てのものが数字で差し図れるほど単純ではない
しかしながら、ネットの誤ったデマが蔓り
専門技術者の意見より素人のYouTuberの言葉を信じる時代
単なる数字の比較を並べたスペック重視で、これからも
リールが出来てきたら想像するだけで恐ろしい。
実際の所、人間の心は高性能なスペックよりも、
有形、無形の官能的な潜在意識で揺り動かされる
例えばスペックバランス重視で車を作ったら、
ロードスターはあれほどまでに人気が出なかったし
私も2台も乗り継がなかっただろう。