幼稚園から絵は好きで、たくさん描いていた。日野の祖父の家に住んでいた時は、一時期集中して描いていた記憶がある。3,4から5歳ぐらいの時か。小学校で、唯一好きで、成績が3段階で、一番上だったのが、図工。これだけは、ずっと一番上だった。小学校1年の1学期から小学校2年の3学期まで、6学期間、俺の校内写生大会での入賞は、6回連続、銅賞。それ以上はなかったが、6回入賞した。これだけは鮮明に覚えている。4年の時も写生大会では、選ばれなかったが、クラス内での美術館館長が選んだので、銅賞だった。だから、俺は、10歳の時も絵を評価されていたということだ。3年から6年まで、そのクラス内以外、写生大会で、俺の絵は評価されなかった。これは、日本の学校での評価が写実重視だからだろう。自分の絵に写実性はなく、そこが評価されなかったのだ。だから、それは気にしなくてよいと思う。