亡くなった日以来の病院。
改めて最後のあいさつに行きました。

4年間通い続けて、10ヶ月毎日通った時も
ありましたし、3ヶ月付き添い入院した時も
ありました。

一桜里を大好きな人がたくさんいて、
一桜里にとって第2の自宅であり、

皆さんが家族のように可愛がって
くれましたし、肝芽腫が見つかって
誰もが何もできず絶望した時も、
亡くなった日も一緒に泣いてたくさん
抱っこしてくれました。

今はまだ受け入れる事すらできなくて
誰とも話せずにいる我々が1人で悲しみを
背負わずにいれるのは一緒に戦ってくれた
皆さんがいるからです。


いおりローソン

入院してる時、外来の時、

必ず行っていたローソン


ここに来る事はもうないのか…
と思うと色んな感情が溢れてきて、

ただそれは悲しい訳ではなく、
素晴らしい夢のような時間だったからです。


いおりちゃん席

いつもこの席でいおりちゃんにラコールを

注入しながら会計待ちしてました。


ドクターとは亡くなった日にしてくれた
検査の結果と自分なりの解釈を話して、
剖検はしないでくださいとお願いして
いたのではっきりとはわかりませんが、

痙攣からの心臓発作であったのでは
ないかと思います。

PRETEXT4の肝芽腫は結局、
正常値まで数値を下げ何もしませんでした。
超レアケースだったと思います。

一番苦しめていて警戒し続けた気管支は
最後引き金になったかもしれませんが
わかりません。

一歳までに繰り返した肺炎で一桜里の
心肺は少しづつ弱ってきていたのかも
しれません。それもわかりません。

ただ改めてドクターと話していて、
産まれた時からやっぱりずっとずっと
ギリギリだったんだなと感じました。

それでも毎日笑って、亡くなった日も
特別ごきげんな日でした。



いおりちゃんと歩いた道


もう一緒に歩けないのが寂しくて

堪りません。



いおり公園(勝手に命名)


春になると桜が満開に咲きます。
面会禁止の時もここでご飯を食べて
いおりを想ってました。

あんなに辛かった面会制限の日々も
大切な思い出です。



ニッケパークタウン


加古川は人生で1回しか来た事が

なかったのに4年間通い続けて

毎日通ってる時期も長かったです。


そして今は行くことがない。


一桜里が産まれた町であり

思い出が詰まった特別な町です。



いおり線路&駐車場


この日会えた主治医の先生以外では

専攻医の先生にも一桜里はたくさん
お世話になっていて、

最初に担当してくれた専攻医の先生にも
報告したかったんですが、派遣先の
神戸医大病院に戻られていて

聞いた話では医大病院でもいおりちゃん
の事はよく話題にあがるようです。

嬉しいです。

皆さんが助けてくれた娘は
たくさん笑って幸せな人生を
歩む事ができました。
皆さんのおかげです。
ありがとうございました!

この子たちは皆、生きたい子たちです。
これからも18トリソミーの子たちを
たくさん救ってあげてください。