慌ただしく日々を過ごしているうちに上クラが卒業し、春からはもう4年生です 私がこのブログ書き出したの高1、2017年、6年前、まじ??
そのころからずっと読者です!なんて方が果たしていてくださるのかはともかく、こうして表現と発信というものを続けて6年な訳ですね
まあもっと言ってしまうと、中2の時にふとブログに憧れて勢いで始めたのが本当の本当に最初なので、そこから考えたら8年ですか…恐ろしいよ、人生の4割だよ…
まあ色々と重なって、表現すること、発信することについて思うところがあったので久しぶりに自分のブログを読み返し、こうして久々に筆をとってみている次第です
というわけで、今回ばかりは完全に自分のために書き殴ってみます
・わたしはこのブログという場所が好きである
一番頻繁に動かしてた受験期からももう3年経つわけで、言ってしまえば黒歴史でもあるこのブログですが、コメント欄を含めて見返してみると当時の記憶が蘇ってきて、本当に懐かしくなる 前もこんなこと書いた気がする
・わたしはこのブログを書いていた頃の私が好きである
この前友人と「最近心から楽しめていない、自己肯定感が保てていない」というような話をして、友人が言った言葉
「勉強すると幸せになるよ」
一見するとなんというかお勉強だいすきマンあるいは思想強め塾講師みたいだけど、実際これ真理だなと思っていて
まあ大学に入ってからのいおりはあまりにも勉強をしていないので偉そうなことは言えないんですが、
われわれ(これまでに勉強で努力する経験をしてきた者たち)にとっての勉強って、自分を好きでいるため、自己肯定感や安心感を得るための道具たりうるなと、最近思っています
おそらく誰しもが「頑張っている自分」でいたくて、
常にそうあることってすごく難しいけど、
幸か不幸か、勉強することは善であるという強い価値観を手に入れたわれわれは、勉強をすることで、いとも簡単に「頑張る自分」になれる
それはわれわれの悲しき性でもあり、強みでもあるなと
・ブログという媒体、よい
当時からブログというのは既にオワコン化しつつあった媒体なはずで、Twitterには受験生界隈があって、他の受験生と交流したいのならそういう場が最適だったのだろうと思うわけですが、でもブログっていいよなあって
ブログは交流というより発信のための媒体で、それがゆえに、絶対的に自分を表現できると思います
まあいおりはリアルで人と交流するのがあんまり得意ではない(人と話せないタイプの方ではなく、話せるけど色々気を遣って気疲れする)のですが、ブログって、他者から求められる自分じゃなくて自分が見せたい自分を見せられるから、とても居心地の良い空間だったし、何より、自分が自分を見つめ直せる場所でもあるなと
逆に言えば、一般人がやってるブログなんて独りよがりで自己陶酔的なものだと思いますが、でも別にそれでよくて、興味がなければスルーされるだけだし(変な人に突っかかられたりしない限り)
むしろ、そうやって各々が自分主役のステージで表現してる、本来一方通行な場で、それを受け入れた上で何かを思ってくださる人だったり、共鳴してくれる仲間だったりが生まれることが素敵なことだなと思います
本来一方通行な場だからこそあたたかみを感じるしね(受験期のコメント欄、マジであったかい……)
・結局、表現活動というのはそういうものっぽい
最近、本を出されてる方とお話しする機会が何度かあって
私てっきり、本を書く人って何か読者に向けて伝えたいメッセージがあるのかなって思ってたんですが、私が話した方々はそういうわけじゃなくて、あくまで自分の中にあるものを表現したいというのが最初にきてて
もちろんそれを人に読んでもらいたい気持ちはあるし、自分の思いを共有できたらいいなとは思っているけど、スタートは自己表現にあるんだなって思ったんですよね
まあ人による部分はあるでしょうが、それってしがないブロガーがやってることと、文章のクオリティが圧倒的に違うのはさておき、本質的には同じなのかなって
スタートは自分のためでも、それが人の心を動かしたり、時に選択を変えたりするって素敵なことだなあと、改めて表現・発信の魅力を感じている今日この頃です
まあそれって結局、広く社会生活に一般化できることでもあって、みんなが根本的には自分のためにやりたいことをして、それが人のためにもなったり、人に感動を与えたり、そういう世の中であってほしいですな〜 という21歳の感想です
冒頭の勉強してる自分が好きって話にも繋がるしね 私は教育関係のバイトしてますが、自分が自分を好きでいる道具としての勉強を使って仕事して、それで社会に貢献できてるわけだから
・人は変わりゆく、いおりも変わりゆく、のですが
そういうわけで表現ってステキ!となり、その流れでブログを読み返し、あの頃の思い出に浸ったり浸らなかったりするのだけど、やっぱり6年は長くて、
特に大学に入ってからの3年間は周りの環境が目まぐるしく変わる(私がいろんなコミュニティを駆け巡ってるせい)のもあって、自分がどんどん変わっているのを感じます
このブログ書いてる間でも、高1→高3で自分が変わったことは感じていて、それは「成長」として受け取れたのだけど、もう21にもなって、体もピークを越したのを実感するようになってくる中で、「これは本当に成長か??」という気持ちもある いろんなベクトルありますが、一番頭が良かったのは小6だし、一番勉強頑張ってたのは高3だし、一番コミュ力が高かったのは大1だし
それに、これがたとえ成長だったとしても、この感じでこれからも生きていくとなると、自分が「完成」することは永遠にないのかもしれないな、って
そんなのよく考えれば当たり前なんだろうけど、はたちを迎える前の「子供」だった私にとっては、なんとなく、ある一定の年齢に達すれば「成長」が終わって完成形の自分になるような気がしていて
でも実際は違って、21歳の私は20歳の私と違うし、たぶん22歳の私も今の私と違う。そうだとしたら、どこを基準に自分を判断すればいいのかって、なかなか難しいかもしれない。
思うに、私は18歳の私がどんな人間だったかわかっていて、それはこのブログという表現の場を持っていたからで
たぶん、自分が絶えず変わっていくのだとしたら、自分を知るためには絶えず自分と向き合い続けないといけなくて、そのための手段として、私には文章を書くことが向いてるのかもしれない
だから、書こう
と、思いました
もともと文章を書くのは苦手ではないけど得意でもなく、というか今も別に得意ではないのですが、勢いでブログを書き始めたことでこうやって自分なりの自分を理解する方法とか、自分を好きでいる方法を見つけられたのはけっこうすごいこと
高1の秋、文理選択に困って吐き出したくなってよかった〜!!というのと、フォローしてくださってる(た)みなさまありがとうございますという感じですね
長くなりすぎて疲れました 3時間ぐらい書いてます 長すぎて読み返してないので文章終わってるかもしれないけどネットの海に投げます
だって発信のスタートは自分のためだからね!!
この冬行った小樽の写真貼っときます
p.s. 進路ですが、就活してません
院進(法科大学院)予定です
勉強は自分を好きになるための云々…とかなんとか以前に、院試がまずいです 勉強します
いおり