先日、とても悲しいニュースが突然、本当に突然、飛び込んできた。

多くは語るまい。みんな、わかると思うから。

 

彼のことは一度だけ、生の舞台で見た。

2012年、東急シアターオーブ。かなり前のことだ。

私はまだ若く、彼も若かった。

彼はあの広い劇場のステージで、豆粒ほどの大きさだったが、キラキラ光っていた。

本当に、輝いていた。

 

ただただ、残念でならない。

同世代である彼の、10年先、20年先、それこそ真っ白なおじいちゃんになった時、

彼がどんな芝居をするのか、追って行きたかった。見て行きたかった。

本当に、残念だ。

 

私も過去に、死にたかったことは何度もある。

これからもきっとたくさんあると思う。

でも、死ななくて良かったと思うし、自ら死なないと思う(滅多なことでは)

根性論者なので、死んだ気で頑張る、ということをするけど(自分だけね、人にはそういうことを言わないよ)

だけど死んではダメなんだ。終わってしまうから。

彼の心情は誰にもわからない。だからこんなことを言うべきじゃないかもしれない。

でも、死にたい気持ちというのは、往々にして一過性の強い気持ちでしかなく、

それに争うことで、もしくは原因から離れることで、

その気持ちは消えはせずとも減ったりして、ああ死ななくて良かったと思うものだ。

死にたいと言う気持ちは病気なんだ。と、私は思う。

だから、病院で治療するなり、自宅療養(好きなことをしたり、ゆっくりしたり、旅をしたり、散財をしたり、なんでもいい)するなりで、必ず退けることができる。

そして、役者、もしくは表現者にとっては、それを乗り越えることで、いくつも、いくつも表現の糧ができる。

女遊びなんかよりよっぽど、芸の肥やしになる。

だからこそ、生きなきゃダメなんだ。

生きている限り、生きていなきゃダメなんだ。

老境に至った彼がどんな芝居をしたのか、私たちは永遠に、知ることができない。

 

ああ、でも彼が、芝居をやめたいという気持ちがあったと言うニュースもあったな。

だとしたらとても、辛かったろうな。

知ったような口をきいて、ごめんね。

ただ、死なないで欲しかったんだよ、生きてりゃなんとでもなるんだ。ほんとだよ。