3/11  研修のために仙台へ新幹線で向かう。

午前11時に仙台駅について研修を受けてた。


和やかに研修を受けてたときに突如襲ってきた地震。

すぐにおさまるものかと思ってきたけど、どんどん強くなってきて

机の下に避難。


実際揺れってとどのタイミングで机の下に非難していいのかわからなくなる。

今までの地震で机の下に避難したことってないから。

訓練とかでしかしたことなかった。


周りの業務の女性の悲鳴の声が今でもすごく耳に残ってる。

あたしは声は出なかった。


「早くおさまれ。。。おさまれ。。。。」

と心で祈る。


だけど、どんどん強くなる揺れに恐怖は強まるばかり。

激しい揺れ、テーブルの上の湯のみが横に落ちて破片が散らばる。

コーヒーがこぼれてあたしにふりかかる。



このまま死んじゃうの??っていう問いかけがどっか遠くから自分の中に聞こえてきた。



なんとか外に非難したら、電話もなにも一気に不通。

ライフライン全て途絶えた。



ケータイもつながらず、何度も何度も家族に連絡してもつながらず

ずいぶんたってようやくメールは送れた状態。



研修が終わって、母と息子と合流して仙台観光を楽しむ予定にしてたから、

母と息子がこちらに向かわないように阻止しないと!!!!

って思ってメールを送った。



あたしはてっきり自分の場所だけが危なかったのだと思い込んでたんだけど、

どうやら関東もゆれて電車が止まってお台場から火災が。。。。だとか後から知った。

母と息子が家を出る前だったのが不幸中の幸いだった。


自分の中ではもう何が起きたわけ???ってパニック。

誰かのケータイのワンセグで写ってる不鮮明な動画を見て

「仙台空港水没した!」

だの言ってるけど、何がなんだかわからない。

信じたくもない。現実を受け入れたくもない気持ちが強かったんだと思う。



仙台駅も封鎖、、、新幹線も高速道路も不通。



もう帰れない。

どうやって家族に会えるの?

なんだか情けないって思うんだけど、当初自分のことしか考えられなかったんだな。

って今になって思う。



津波がすぐそばまで来てとんでもないことになってるのも全然知らなかった。

ただの地震で全てが絶たれたんだと思ってた。



信号はつかない中、車が大渋滞の中、宿泊するホテルに行っても

「安全を保障できないから宿泊はお受けできません」といわれる。


のんきなあたしはホテルにさえたどり着けば暖を取れる。

ゆっくり一息つけると思ってた。


大広間みたいなとこで、非常灯が薄暗くつく中、一晩明かす。

幸い一人じゃなく、年上の一番あたしが同じ業務の中で仲良くさせてもらってる人と一緒だったから

心細くなかった。


でも、床に転がって寒い中、テーブルクロスに包まって眠る。

近くにいた変な男に持ってた紙袋を漁られたり嫌なこともあった。

次の日には非常灯も途絶えてしまうってことでホテルも追い出されてしまって、避難所へ。。。。

だけど、女二人で行動ももうどうしていいのか希望の光もなくなってきたころ、

会社の人と連絡が取れて迎えに来てもらって、事務所へ移動。


そこからはみんなと合流できて心強かった。

男性陣は本当に本当に頼りになった。

こんなとき男の人にはかなわないな。って思った。

平常心でてきぱきと力仕事をしてくれて災害用のガスを使って炊き出しして温かいものを

食べられた。

ウチの会社らしく、こういうときでも明るくみんなで余震がある中過ごせた。



そうして3日間過ごしたけど、すごく長い3日間だった。



なんとか自宅に帰ることが出来て、あたしがいない中息子を母と夫で守ってくれてた模様。

仙台にいるときには自分の周りがどうなってるのか全然情報が入ってこなかったんだけど、

今振り返ってみると、全然たいしたことない。あたしなんて。



被災にあったといえ、TVで見て知った想像を絶する光景とは自分は程遠かった。



今、関東でもいまだに余震が続いてる。

だけど、物が不足してるとはいえ、生活が出来る環境にいる。



そんな自分が何かを発言するには、重すぎる現実。

何を言うにも軽々しく感じてしまう。




安住の地なんてどこにもない。



だけど、希望は捨てない。




絶対に復興する!!