5/2~5/6 徳島・高知自転車城巡り
3日目です。
この日はロングライドではなく高知市、南国市のお城巡り中心。
前日の膝の怪我はどうもバンドエイドが良くなかったのか朝起きると出血で真っ赤になっており再度マキロンで消毒&もう一度バンドエイドを付けまして出発です。
打撲も気になってましたが幸い酷くなくて自転車には支障は無さそうです。
最初に向かったのは宿から一番近い野田土居城。
ですが寝ぼけてるのかどうも見つからない・・・
野田土居城
高知県南国市下野田字城
築城年代は不明。野田俊吉が築いたとされる。野田氏は長宗我部氏7代兼光の弟俊吉が野田氏を名乗ったことから始まる。
戦国期は野田甚左衛門が城主で後に宿毛に移封に伴い宿毛甚左衛門に名乗りと変え長宗我部氏改易後藤堂家に仕えた。
遺構は城八幡のあたりが城址で八幡社が土塁跡だそうですが結局見つけらなかったです・・・後で調べたら通りすぎてた・・・(T▽T;)
城址の北側にあった土塁っぽいのがあったのでそれだけ撮って次へ・・
上野田土居城
高知県南国市上野田(八幡社)
築城年代は不明。城址は大将軍神社西にある八幡社一帯とされます。
民家の横の階段より登った先が八幡社
城址の八幡社。この付近は一段高くなっておりかすかな城址の雰囲気があるぐらい。
高い地が土塁でしょうか。
ここは車だとかなり難儀な場所だと思いますが幸い自転車だったので場所がわかってれば割とわかりました。
次は
包末土居城
高知県南国市包末字四方田
包末(かのすえ)土居城と呼ぶ。築城年代は不明。長宗我部氏の時のお城だと言われてます。
田んぼに土塁がきれいに残ってます。一見産廃の土でも盛ってるのかと思ったら土塁でした💦
三方に渡って土塁で囲ってるのがわかります。
次は
岩村土居城
高知県南国市福船字城ノ内(福船八幡社)
南北朝時代には存在していたお城。岩村氏の居城で北朝方の攻撃で焼き払われた。
現在城址には福船八幡社が建っていてそこが南西の隅にあたり。北側の田んぼには土塁が残ってます。
城址の南西にあたる福船八幡社
この横を抜けると北側の土塁が見えてきます
ここも小振りながら土塁がしっかり見られますね。
北側の土塁
次は
津野神社
高知県香美市土佐山田町神通町
ここは長宗我部元親の三男津野親忠を祀ってある神社。
長宗我部元親が半山城主津野勝興を降し三男の親忠を養子にいれ津野親忠と名乗る。
長宗我部盛親が関ケ原の戦いで敗れた後に人質時代に藤堂高虎と親しかった津野親忠が土佐を乗っ取ると久武親直に讒言され切腹させられる結果盛親は兄殺しとなってしまいこれが徳川家康に咎められ改易に繋がった一因とされます。。
津野親忠の墓碑と説明板が建ってます
津野親忠の墓
晩年荒れてしまった長宗我部元親の負のとばっちりを受けてしまった悲運の親忠です。
お墓と墓碑などは新しくリニューアルされているようでした。地元では大事にされてるようで良かったです。
次に向かったのは
比江山城
高知県南国市比江山字城山
長宗我部一族の比江山親興によって築かれた。比江山親興は長宗我部国親の弟長宗我部国康の次男。なので長宗我部元親の従兄弟ですね。
長宗我部元親が嫡男信親が戸次川の戦いで亡くなった後四男の盛親に家督を継がせるのに反対した為元親の怒りを買い切腹させられた。
同じく吉良親実も切腹させられたり、比江山親興の妻子も逃れるも捕らえられ処刑された。この殺された人らが怨霊となった「7人ミサキ」となったと言われる。
この山が比江山城です。
中腹にある永源寺の道路反対の道を入っていくと城址です。
主郭には比江山神社があります。
主郭部分
土塁
土塁の一部が主郭に見られます。
ですがここに来る前も木が倒れまくっていて人為的じゃない倒れ方なんです・・
天災でもあったんでしょうか?ただ一部人の手で切った感じもあるので良くわかりませんでした・・💦
途中までは遺構がわかりづらかったが主郭部分はまずまずでした。
比江山城を回った後は中腹にある永源寺に寄って山内一豊の家臣で土佐初代家老の乾将監和三からの一族の墓を見に行きました。
乾和三は備後と称し比江、国分、植田4千5百石を領した。
ここの墓は卵塔という卵型のお墓なのが珍しいです
卵塔(乾和三 夫妻の墓)
次はこの日の午前の本命岡豊城へ向かいます
続く・・・


















