5/2~5/6にかけて自転車で徳島・高知県を自転車でお城巡りしてきました。
この旅行の当初の予定は5/2仕事を終えてそのまま自走で大坂から和歌山まで走りAM2時40分の南海フェリーで和歌山港からAM4時55分着の徳島港へ行きそこから少し仮眠してからスタートして3泊で室戸岬経由で高知市に入り市内のお城などを回って最終日は飛行機で伊丹空港まで戻って帰るというプランでした。
ただ天気がGW後半は雨模様との事・・実際5/2は昼から大阪~和歌山は雨との事だったのでお城を回らない和歌山までの自走は輪行で和歌山港駅まで行く事に修正。
ですが5/2は得意先が長い連休に入ってるとこも多く会社より段取り済んだ人はPM3時から帰っていいよとの事・・・
予定のある人はどんどん帰っていき私も仕事を切り上げないといけない状況になってしまってPM4時会社で輪行袋に自転車を入れて出る。
一度家に戻ってから和歌山港まで乗るのは時間が中途半端だし輪行袋担いで歩きたくない・・・雨がパラパラ降ってきたのでとりあえず和歌山まで行って見る事にしました。
JR環状線で新今宮で降りそこから南海本線で和歌山駅、そして南海港線で和歌山港駅へ到着。
電車は中途半端な時間だったからか混雑もさほどでもなく輪行袋もめちゃくちゃ邪魔にならず少しホッとしました💦
着いたのはPM6時30分くらい
駅から直接フェリー乗り場に行けます。
次はPM9時40分和歌山発の便があるが一本やりすごして次の時間まで待つつもりで通路を歩いていくと連絡通路が途中で並んでる・・・。しかもロードバイクの輪行袋の人の多いこと・・・・サークルか何かのグループぽかったですが予想以上の自転車の多さにびっくり。
取り敢えず後ろに並んでると流れから乗船する感じになってしまって・・・
PM7時15分発です・・・
乗船券購入片道2000円。自転車をそのまま船に乗せると700円かかりますが輪行袋にすると手荷物で料金がかかりません。
そのまま載せるつもりだったので700円得しました。
船の中は翌日がGW後半戦だけあって一杯でした。乗船口の手すりに自転車を固定してわずかな空いてるスペースを確保して体を横たえる。
乗船時間は2時間ちょっとあっという間仮眠した時間も少し。
PM9時25分徳島港到着です。
着くのが早すぎる・・・同船した自転車乗りの人たちはヘッドライト付けたりしてそのまま出発していきましたが城巡りに行ける時間でもないしどうしよう・・・
取り敢えず輪行袋から自転車を取り出し完成させました。
雨はほぼ止んできた感じ、9時過ぎなら徳島ラーメンを食べれるかもと思いだし晩御飯はまだ食べてなかったので何軒か行ってみるもそもそも港の近所はお店がない・・あってももう閉まってた・・・何てこった・・
と言っても晩御飯は何か食べないといけないのでコンビニでパスタを購入、温めてもらって食べたのがこの日の晩御飯でした。
食べ終わってもまだ10時過ぎ、取り敢えずフェリー待合室の隣の自転車置き場に自転車を停めて待合室にて船が来たら周囲散策して人が出て行ったら2時間仮眠を繰り返すがあんまり寝れないし暇すぎです(゚_゚i)
天気のせいもあったがこの最初のプランはちょっと失敗でした・・和歌山でも徳島でもご当地ラーメンは食べれないわ疲れはたまるわ寝れないわ・・・
ただそんなこんなでAM5時頃には空も白けてきたので予定より早いですがこれなら走れそうだし雨も止んだようなので徳島・高知自転車城巡りの本当のスタートです。
徳島城は前回徳島来た時に行ってので今回はパス。
最初に行ってのは
夷山城(八万城)
徳島県徳島市八万町(夷山緑地円福寺公園)
天文21年(1552)細川真之により築かれた。永禄5年(1562)には城主の篠村佐吉兵衛は三好義賢と共に畠山高政との久米田の戦いで自刃した。
円福寺の裏の小山が城址になり現在は夷山緑地円福寺公園となってますが城址部分は立入禁止になってます。
円福寺から公園に行く入口に城址碑があります。
城址遠景。遺構と思われる奥は立入禁止。
城址一帯は公園として整備されてました。
夷山城の南へすぐ走っていくと
一宮成佑の墓
徳島県徳島市八万橋本
一宮城主の一宮成佑の墓。
コスモタウンという住宅街の中にありました。
一宮成佑は三好長治と対立し助けを求めて長宗我部元親に寝返り長宗我部氏の阿波侵攻に貢献するも三好康長に通じたと疑われた成佑は夷山城で謀殺されてしまいます。
次は
津田砲台場(津田台場)
徳島県徳島市津田1(津田砲台場公園)
蜂須賀氏によろ文久3年(1563)着手し翌年元治元年(1564)家臣の勝浦安右衛門と小出由岐衛門に命じ作らせた。
現在は津田砲台場公園として一部残ってます。
台場の遺構のあるのは台場跡の東北部の一部。台場には当時20門の大砲が設置されたとか。
台場上には火薬庫の障壁が残っています。
次は細川家の菩提寺丈六寺に向かいます。道は平坦なので寝不足の影響はまだなさそう。
丈六寺に入る前に手前に細川家墓所とあるので行ってみると仕切りのある空間があります。
そこが細川家の墓所だったんですね。
細川成之と細川真之の墓
真ん中の無縫塔が細川成之。
その右は細川真之の墓。
恐らく成之の左が持隆。
細川成之は讃岐・阿波などの守護で細川澄元は孫にあたる。
細川真之は細川持隆の子で母は小少将。三好長治、十河存保は異父弟にあたる。
真之は長宗我部元親に付き不和になった三好長治を討つも天正10年(1582)十河存保に茅ケ岡城を攻められ八幡原にて自刃。
阿波細川家は細川真之で滅亡。
次は丈六寺へ向かいます。
続く・・・













