4/1 能勢城巡り 続き
地黄城の後に行ったのが
丸山城
大阪府豊能郡能勢町地黄
能勢氏の居城。長元年間(1028-1037)源頼光の子頼国が能勢郡田尻荘の地頭になり能勢氏を称してこの地に築いたとされる。
能勢氏は荒木村重が織田信長に反旗を翻した時には21代当主の能勢頼道は荒木方だった。
能勢頼道は荒木村重の反乱を治めた後隣の山下城主の塩川国満により謀殺されて丸山城を攻撃されるも弟の能勢頼次が撃退しています。
能勢頼次は本能寺の変で明智方につき山崎の戦いで敗れた後は能勢から備前国に落ち延びていく。その後徳川家康に召し出され旧領の能勢に復帰。関ケ原の戦い、大坂の陣で功をたて慶長7年(1602)地黄城築城に伴い丸山城は廃城となりました。
東側に車を停めるスペースがありそこには城址碑と説明板があります。
説明板横より急峻な道を登っていきますがすぐに城郭部分へ登れます。
裏手にある石塔がる所からでも登っていけます。
丸山城土塁。
登った平坦部分に土塁が残っていますね。
丸山城二の丸
丸山城本丸。
二の丸から虎口らしき場所より上がると本丸です。
狼煙台跡。
この奥にも堀切もありましす。
遺構も良く残ってますし主郭までは急な道をいきますが見やすいし見る場所も多いお城でした。
丸山城を見たあとは裏手にまわって行くと
清普寺
大阪府豊能郡能勢町地黄815
能勢氏の菩提寺。能勢頼次が父の菩提を弔う為に建立した。
また表門は地黄城の武家門、本堂も地黄城の大広間の遺構と言われています。
能勢氏代々の墓もあります。
お寺前には
能勢頼次公射場鷹松?
能勢頼次関連の碑です。
能勢頼次の墓
能勢氏中興の祖と言われる能勢頼次の墓。頼次以降の能勢氏代々のお墓があるようでした。
ここでこの日はタイムアップ。
山城でも遺構はそこそこ残ってて上々の城巡りでした。
能勢地方はまだお城があるのでまた来る事になりそうです。