4/1 能勢城巡り 続き

 

野間城を回った後は行きの時に後回しにした

野間氏館

大阪府豊能郡能勢町野間中

能勢氏、余野氏と並んで能勢三惣領の呼ばれた野間氏の居館跡。

野間城の麓が居館跡だったようです。

入口に虎口っぽい所から行く。

一段下の畑。右手の土類の上が居館跡と思います。

野間氏館から北へ眺めた先には野間氏屋敷跡があります。

野間氏屋敷跡

大阪府豊能郡能勢町野間中

野間氏の屋敷があった場所とされる。

真ん中の石垣の上の住宅地が屋敷跡。

南と西側に石垣が残ってます。

ここから東の畑には「野間氏発祥の地」の碑があるはずですが回りを見て見ても発見できず・・・野間の森MIGIWAというレストランがあるがその敷地にあるのかも・・・

 屋敷跡から更に北へ進むと小山が見えてきますがそこは

野間中城

大阪府豊能郡能勢町野間中

築城年代や築城者は不明。この地を治めた野間氏のお城らしいです。

時間の関係でここは遠景で終了。写真左の成就院というお寺手前の道を右に進み民家の裏手から直登していかないといけないようです。

上には土塁、郭跡などが残っているそうです。

 

次に向かったのはこの日のメイン能勢氏の城へ。

地黄城(地黄陣屋、能勢城)

大阪府豊能郡能勢町地黄211

能勢氏中興の祖能勢頼次によって築かれた。能勢頼次は本能寺の変明智光秀方につくも羽柴秀吉方に敗れ備前国に落ち延びます。

その後京都の東寺の金剛院が頼次の弟で徳川家康が寺院で休憩した際に推薦し、召し出せれ能勢に旧領に復し再興して築いたのが地黄城です。

頼次は関ケ原の戦いでも功を立て、大阪冬の陣では天満口の守備をしてました。

今は閉校になった旧能勢町立東中学校跡が城址になります。

周囲には石垣なども残っております。

能勢氏所縁のお城という事で能勢氏城址の碑もありました。

土塁跡もしっかり見れます。

ここまで山城メインだったが築城年代も慶長年間だったのもあって石垣も見れたし遺構も良好で見れました。

 

次は地黄城の前の能勢氏の居城丸山城へ・・

 

続く・・・