東海城巡り2日目続き

 

午後からは伊豆箱根鉄道に乗って韮山へ。

韮山駅から韮山城へ向かいますがどうも町の雰囲気が北条推しっぽくない源平推しなので何故かと思いながら歩いていくと

蛭ケ小島(源 頼朝配流の地)

静岡県伊豆の国市土手和田

平治元年(1159)の平治の乱平清盛に敗れた源頼朝が翌年伊豆の蛭ケ小島に流罪になる。以降治承4年(1180)平家打倒、源氏再興の旗揚げをするまでの20年間この地で過ごしたと言われる。

源頼朝と北条政子夫婦の像

現在は蛭ケ小島公園として整備されています。

後北条氏関係ばかり調べてていて源平の史跡があったとはノーマークというか調べきれてなかった・・・現地案内板では北条氏菩提寺の願成就院(堀越御所)や頼朝旗揚げの際攻め込んだ山木兼隆館もあったりと迂闊でした・・

そこから韮山高校へ向かって歩いて行きます。

韮山城

静岡県伊豆の国市韮山韮山

延徳3年(1491)伊勢宗瑞(北条早雲)により築かれる。堀越公方の内乱の中足利茶々丸と討ち韮山城を築きます。伊豆支配の拠点となる。北条早雲はここ韮山で没する。

天正18年(1590)の豊臣秀吉の北条攻めでは北条氏政の弟北条氏規が秀吉軍4万を相手に抵抗し他の諸城が落とされる中落城せず。後には開城するがこの氏規の家系が大阪の狭山で大名として残ってます。

徳川の時代には内藤信成が治めますが駿府移転に伴い廃城に。

韮山高校から裏の山一帯が城郭だったようです。

三の丸はテニスコートになっていますが権現曲輪など廓は比較的良好に見て取れます。

本丸跡

思ってたより遺構も残っていてまずまず楽しめるお城でした。

韮山代官所(江川邸)

静岡県伊豆の国市韮山韮山

韮山城から池を挟んだ向かい側にあります。

江戸時代には幕府直轄地として代々代官を世襲した江川氏の邸宅(代官所)があります。

隣の郷土資料館とセットで見ると良いと思います。

韮山は韮山城と韮山代官所だけ行くつもりだったが時間の都合上源平関係やら堀越御所など見たい場所があったのに行けないのは痛恨でした・・そうそう来れるとこじゃないのに・・次に伊豆に来る時は必ず行きます。

 

次は三島に戻りJRで原駅で降り、そこからミューバス原循環線で根古屋で下車。

北条早雲の最初の居城と言われる興国寺城へ向かいますが駅の地図を見ると城に近くに阿野全成の墓とある・・源平時代の調べ忘れがここにもありました・・ただ時間的にはギリギリいけそうなのでまずそちらに行ってみる。

大泉寺(阿野全成の墓)

静岡県沼津市井出744

阿野全成・時元の墓

源義朝の7男。源義経と同じ母を持つ今若(阿野全成)・乙若(源義円)・牛若(源義経)の今若です。頼朝とは兄弟の中で最初の合流を果たし頼朝は涙を流して感激したという。

頼朝の後の2代目将軍で甥の頼家と対立し捕縛され殺される。

息子の時元も3代将軍実朝が亡くなった後跡目を争って挙兵するも執権北条義時勢により討取られたとか。

雨が段々きつくなってきたので急いで興国寺まで歩きました。

興国寺城

静岡県沼津市根古屋

伊勢宗瑞(北条早雲)の最初の居城。

行ってビックリの巨大な土塁。

デカイ!土塁に圧巻です。おぉ~!って唸ってしまった。

天守台石垣

一部石垣も使われていたようですね。

土塁の向こう側には今度は大空堀があってここも良好に残ってますね。

北条早雲の碑

土塁手前には初代城主として北条早雲の碑があります。

早雲渋いなぁ~(^^

天野康景の碑

三河三奉行 仏高力(高力清長) 鬼作左(本多重次)どちへんなきは天野三郎兵衛(天野康景)の天野康景が興国寺城主の時康景が貯めておいた材木を盗もうとする者を過家臣が盗人を殺傷するもそれが天領の領民だった事で下手人の引き渡しを求められて天野康景は激怒して城を放棄して出奔して改易。

部下の行為の正当性を守る為城を捨てるとは・・・熱い人物だったんでしょうねぇ。

 

興国寺城が終わって駅まで戻りたいがバスがもう全然なくて歩いて駅まで30~40分。

もうすっかり日が暮れてしまってますがこの日最後は安倍川駅で降りてすぐの

手越河原古戦場

静岡県静岡市駿河区みずほ5丁目12(みずほ公園)

建武2年(1334)足利尊氏追討を受けた新田義貞が足利直義と手越河原で戦い新田軍が勝利した戦いの古戦場碑がみずほ公園にあります。

ここは来てみたかった南北朝関連の史跡だったんですけど雨と夜の真っ暗さで何も見えず・・・また機会があれば行きたい・・

 

これで2日目終了、一路泊まる掛川まで乗って終了。

 

続く・・・