今回の旅のメイン松前に着いてまずは腹ごしらえ。
松前の道の駅でいただいたのは「ほっけ定食」1200円
朝もそんなに食べてなかったのでちょっと足りなかった・・でもほっけは旨いですな。
エネルギー充填して向かったのは
松前城(福山城)
北海道松前郡松前町松城144
日本百名城。
幕府の命により北辺警備の為に松前崇広により安政元年(1854)に完成。
日本最後期の旧式城郭。
主に南側の守備を目的としていた為北側が弱く、函館戦争の際は土方歳三率いる旧幕府軍に攻められ陥落。
焼失して遺構はほとんどありませんがこの本丸御門が残っています。
中々素晴らしい出来ですし他の天守などの復元具合も良い感じですね。
小藩なのでたいした事なのかもって思ってたけど中々立派な縄張りだしさっきも言ったが復元具合が良い。
春は桜の名所だそうです。
念願の松前城、遠くて行けるチャンスが中々なかったけど来た甲斐があった。
現地では松前城と同じく福山城とも明記されています。
前身が福山館があったからかな。
松前神社
松前城の北側にある松前氏の祖武田信広を祀ってあります。
法幢寺(ほうとうじ)
北海道松前郡松前町松城307
松前氏菩提寺。
中には松前氏の霊屋と歴代藩主と妻子の墓があります。
松前氏霊屋
敷地を大きく立派な墓地です。
松前氏の祖武田信広から蠣崎氏を名乗っていた季成までの墓。
松前氏を名乗った5代目松前慶広の墓。初代松前藩主。
大館(徳山館)
北海道松前郡松前町松城371(徳山大神宮)
室町期に蝦夷管領の安東氏により建てられ松前大館と呼ばれ道南十二館の一つで下国定季が館主だったが長禄元年(1457)のコシャマインの戦いなどで落城。
後永正11年(1514)に蠣崎氏二代の蠣崎光広が勝山館から移り徳山館と名付ける。
慶長11年(1606)に福山館(松前城)に移るまで蠣崎氏の政庁となる。
徳山館跡には徳山大神宮が建っています。
大神宮の裏山が遺構との事ですが横を回ってみるも道が途切れ気味で草が茫々で進めないのでこの先で引き返す。
土塁、虎口などが確認できるそうですが・・どこだったんだろう・・
もう少し探りたい所ですがこの時点で夕方4時過ぎでもう日が陰り気味なのでレンタカーの返却もあるのでここで松前は終了です。
あと1泊できたら西側を回って上ノ国方面の道南十二館などを回りたかったけどそれでも半分は回れたので良しとします。
函館まで戻ってレンタカーを返してこの日の晩御飯も函館塩ラーメン
「滋養軒」さんでいただきました。
シンプルイズベスト!で美味しかった~(^^
2日目終了。
3日目は最終日で函館市内を回ります。