あれから13年 | 家族への感謝〜ヘルプマークと共に〜

家族への感謝〜ヘルプマークと共に〜

私はプリキュアが放送開始された年の夏、高校生で
メンタルの障害を診断されました。
現在も服薬をしながら施設へ通所しています。
周りから理解されることに時間がかかる障害ですが、この数年で理解していただく方が増えました。

こんばんは。

今日で東日本大震災から12年。

改めまして被災された方、お見舞い申し上げます。


先週、東京都から



『東京防災ブック』が届きました。
中の2冊には両方に「ヘルプマーク」をはじめ、ユニバーサルデザインマークが載っています。

東京防災でぜひユニバーサルデザインマークについて多くの方に知って頂く機会となることを願います。









ここから震災の発生の瞬間のニュース番組のこと、書きます。

見たくない方はお控えください。


















発生した日、午後から地元の駅近くの福祉施設に企業実習の工賃を受け取りに出発する直前でした。

「そろそろバスが来る時間じゃない?」、バス停は自宅から15分ほど離れたバス停になります。

バスが来る時間帯まで自宅にいたのです。


見ていたのは日テレの『ミヤネ屋』。

昨年、亡くなった石原慎太郎さんが都知事選挙に出馬を表明するための会見が始まろうとする直前、

「先程から地震でしょうか?揺れを感じています。震度3ぐらいでしょうか。」という話でCMに入り、その後、宮根さんが「大阪でも揺れを感じてますか。

東京はすごく揺れてますね」と東京のスタジオに切り替え、豊田アナが地震の情報を伝えていたのを覚えています。

東京でも強い揺れを感じ、飾ってあったハッピーセットのたまごっちのホビーが落ちてしまうぐらいの揺れ。


揺れがおさまったときに弟が「何があったの?」と就職活動で疲れて地震発生時に揺れに気づかず、爆睡していたらしく、

親が「揺れに気づかず、命を落とすことがあるかもしれないのに」と訴えていて、

あれほど命の大切さを必死になっていた親を見たときは「自分の子供に何かあったら悲しむよね。」と痛感。


就職活動中、うまくいかずに家族にイライラをぶつけていた弟がその後、私の部屋に来て、「自転車の鍵。

自宅にいて。自分とお母さんと連絡取って食材とか買い出しに行く。

今、必要なものって何?自転車あるから駅前に行けるかもしれないから」と母とやり取り。

弟は必死に駅前を自転車で走り、最後に「食材は見つけられなかったけど、好きな飲み物、見つけた」と袋には家族の好きな飲みもの。


地震のニュースを見ると衝撃を受けて、私の持病が心配だからと気遣う弟、親はニュースを見ながら「どうしよう、誕生日ケーキ」と一言。

実は5日後、私の誕生日。「それどころではないでしょ、そんな状況ではない。お母さんの誕生日と1ヶ月違いだし、その時でいいじゃん」と一言。


私はその時、母の付き添いで行った地元スーパーでポケモンの紙パックの飲み物を見つけ、

さすがに大変な状況だし、買えないしと思って、誕生日の話をしたときに「地元のスーパーでポケモンの紙パックに入った飲み物で十分だよ」と話しました。

私と母の誕生日が1ヶ月違いなので誕生日ケーキは母の誕生日に食べることになったのはこのときからでした。


そして昨年、なぜ私の地元では計画停電の対象地域にならなかったのかを初めて知りました。

私の住む区内は震災前から議員さんの呼びかけで街路灯をLED照明にしていて、計画停電の対象にはならなかったそうです。

以前から地元の方が区に対して、強く要望していたからこそLED照明になったそうです。


2年前に転居したマンションでは昨年、耐震工事がありました。



期間中はベランダが封鎖されてしまい、コインランドリーに行ったこともありましたが、
耐震工事後、



テレビや机の位置が変わったことで慣れるまでに時間がかかりました。

先日から千葉県を震源とする地震が何度かあり、その時も揺れましたが、耐震工事前と違い、揺れをあまり感じませんでした。
それとひろプリ最終回の直後にも地震がきて、驚きました。

元旦には石川県能登半島で大きな地震がありました。

いつどこで地震が起きるかわからないので

日頃からの備えを大切に過ごしていきたいと思います。

あと家族と交わすあいさつは大切です。

「おはよう」、「行ってきます」、あと「手伝ってくれてありがとう」、「ただいま戻りました」、そして母が「ただいま」というと、「おかえり、お疲れ様です」と言ってしまいます。


改めて東北、石川県能登半島の一日も早い復興を願っています。