こんばんは


ちょっと書きたくなった。






やっぱりね。



私は何かに属するのが、すごく嫌。という感覚がある。



それが、最近は、大好きな心の世界でも発生していて。




得意の「孤立する」を選ぶ。




もうね、これは、ずっとずっとずーーーっと、




学生時代からずっと、これを繰り返している。




心屋仁之助が、好きな頃はどっぷりその世界に浸かるけど、ぢんさんの信者というわけではない。



ハッピーちゃんの発信も大好きで、いつも元気や気づきをもらう。でもハッピーちゃんの傘下みたいにはなりたくない。



八木さやちゃんの生き様も、大好きだし、発信がなかなかピンと来ない時は理解しようと努力した。でも崇拝とは程遠い。






ハッピーちゃんの所で言う、操縦席に「自分」を座らせてあげたい。という感覚が一番近い。




心の事が好きな人たちが集まって、色々楽しそうだけど、それだけが世界でもなくて。



別にスピやってなくても、すごいな!って思う人もいっぱいいるし。



結局は全部繋がってるし。



どこにも属さないでもいいし、属しててもいいじゃん。ってなる。




そして極論で「孤立」してしまう。



これはもう習性に近い。




そして、こんな話を楽しめるのは、心の世界が好きな人同士だから。という矛盾w




なんかなーーー、もーおもしろいなーーって最後はなる🤣




こっちの方がすごいとか、あの人が言ってた事以外は間違いだとか。



しょうがないんたんけどね。



これよ人間の習性だから。



私はこーゆーのにいちいち引っかかる。



好きに発信すりゃーええのだと。



私はわたしなんだと。



そして、それを強く願う私がいることに、改めて気づいた。




で、結局はだから何?ってなって、何も変わらないんだけどさ笑




周囲に何言われても、本人が気付くタイミングでしか腑に落ちないし。



何なら私も、しょっちゅう1人ボケツッコミしてるよ。



でも、それでいい。



それを分かち合える仲間が、きっといいタイミングで側に居てくれる。



そんな風に世界は出来ている。



改めてそう感じたよ。












「もと」じゃないよ「す」ね。



私はわたし。



だけど、それらを理解してくれる仲間は、きっと良きタイミングで側に居てくれる。




これを読んだ方は、もしかするとご縁があって、同じような事思ってたかもだしね。








会いたい人がいるのなら

それを待ってる 人がいる

いつでも







今さらだけど、BUMP OF CHICKENにハマってる。



歌詞も刺さりまくる。






深夜に久々ブログ書いたけど、支離滅裂になってない事を祈る🤞



もはや投稿も神頼みなわたしです。




今日も楽しかったね♪



ありがとう😊