マリーンズ友達でボールコレクターのM氏が、自身定年後のライフワークとしている美術の世界で、書かれた本が、朝日新聞の書評に載ったというので、先ずはそれを読んでみました。
以下、書評からの引用(ほぼ全文だけど)。
先日、千葉市美術館へ出かけた。ここで六月十六日まで開催中の展覧会「板倉鼎・須美子展」を観(み)に行ったのだ。
板倉鼎は一九〇一年生まれ。二十五歳のとき、妻の須美子と共にパリへ留学、三年後に若くして客死した画家である。仏生まれの二人の娘、そして須美子も、相次いで他界している。
こう書くと、暗く悲劇的な印象を受ける。しかし須美子をモデルに描いたパリ時代の作品はいずれもカラリと明るく、モダンで優しい。興味深いのが、夫に触発され彼女も絵筆をとった点だ。経由地のハワイを素朴に描いた作品でサロン・ドートンヌに入選。才能の開花が驚異的に速かった。
長く知られざる存在だったが、作品や資料を散逸から守り抜いた鼎の妹、寄贈された機関の尽力によって、近年は展覧会の開催が続いている。実は私も何年か前に興味を持って展覧会へ行き、以来ひそかに鼎&須美子を推す者であった。しかし上には上がいた!
本書の著者は、四十年の会社員生活を全うして退職したのち、鼎と須美子を知り、顕彰活動をしようと一念発起した人物。学芸員の資格を取得し、一般社団法人〈画業を伝える会〉を設立したというから、行動力が半端ではない。
プロによる専門書とは大きく異なり、第一章は「芸術と金融」と題し、氏の人生が語られる。バンカーとしてロンドンを皮切りに世界中の都市を行脚した経験を回想し、オークションに参加した思い出を綴(つづ)る。いわく、「私にとってビジネスは放電、アートは充電だった」。正直、この章がいちばん面白かった。
そもそも本書のタイトルは氏が展開する顕彰活動のキャッチコピーであって内容を示すものではない。鼎・須美子の詳しい画業については公式図録に譲り、同時代の日本の洋画家の掘り起こしに力を入れている。そちらは読み応えたっぷり。
ある芸術愛好家(ディレッタント)の集大成といった趣の書だ。
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みずたに・よしひろ 1952年生まれ。元協和銀行(現りそな銀行)員。「板倉鼎・須美子の画業を伝える会」を設立。
こんな書評を読んだら本を読むしかないよね。
というわけで早速Amazonで本を購入。
凄いなぁ。
僕らにとっては、単なるサインボール好きなマリーンズファンのおっさんなのだけど、実はこんなエクゼプティプな方だったんですね。
自身、慶應と東京芸大という二足の草鞋を履きながら、気持ちは芸術に向きながら現実はビジネスの世界で大きな軌跡を残しました。
そんな氏との出会いは、実はマリーンズ絡み。
水谷さんは(本の著者で実名明記なので以下私も実名にします)、実は50年以上にわたるオリオンズ・マリーンズファンでもあります。
海外赴任の多かった水谷さんにとって、サラリーマン時代は野球とは無縁の生活を送ってましたが、定年になりバンカーから上場会社の役員に天下り。
時間が取れるようになり、子供の頃からのファンであるマリーンズライフに興じる余裕ができるようになりました。
そんな関係でのお付き合いです。
水谷氏が、完全にビジネスからリタイヤし、学芸員の資格をとるために大学へ通っていたのは知ってましたし、その合間にマリンや遠征にもご一緒しました。
そして自身が居を構える松戸市において板倉鼎という画家に魅入られ自身自ら財団法人を立ち上げたという話も伺ってました。
そんな水谷氏の努力もあり、千葉市美術館において展覧会が開かれるというので、招待券を頂き、柄でもない絵の鑑賞に出掛けました。
交流戦最終カードの中日戦に、多摩からの友人が一泊でマリン参戦というので、土曜のゲーム後海浜幕張で一献したため、この日は次男宅のマンションに宿泊。
翌日曜日のマリンのゲームまでの時間を利用して、千葉市美術館に足を運びました。
芸術にとんと疎いわたくし、千葉市に40年以上住んでるけど、千葉市美術館に来たのは初めて。
場所すら知らなかった。
板倉鼎展、面白かった。
僕のような絵に全く素人ながら、その絵の力というものを感じることができました。
いくつか、写真撮影可の板倉鼎・須美子の絵を載せます。