北陸旅行から帰った翌日の日曜日、映画を見に出かけました。

北野武監督「首」


世界のキタノと謳われてはいるけど、僕はそこまでの評価はしてない。

監督としての手腕からしたら、日本のキタノ位かな。


アウトレイジシリーズ等一連のバイオレンス映画は好きです。

抗争とか殺し合いなんてのは、男は好きだからね。


その北野武監督がどんな歴史映画を作るのか、興味を持って臨みしまた。

そして感想はというと、キタノ作品として失敗作かな、という印象。

北野武監督は、失敗の少ない監督だと思うのだけど、今回は脚本・演出共にキレが無かった。


冒頭の時代設定の字幕そのもそも蛇足だし、その後の武将の紹介にスーパーを使うなんてのも、どうかなと思う。

若い観客に理解してもらうための配慮かな、と思う反面、編集までしているキタノはこれを容認したのだろうか、気になる。

テレビの映画放映じゃないんだから、映像と会話のみで登場人物の紹介を済ませよ。

これだけで僕の評価はマイナス。


映画とは脚本でありキャラクターでもある。

キャラが輝いていると映画が面白い。

その意味でもガッカリさせられた。

信長役の加瀬亮が力入りすぎて、ただの暴君にしか見えない。

アウトレイジでの加瀬亮は誰よりも輝いていたのに残念。

ちょっとあの時の突っ張った演技がその延長にあるのか。

アウトレイジではアホのようでいて、実はインテリヤクザというのが良かったのに。

今回は悪魔であるが、人を寄せ付けないカリスマとしての信長がいない。


そして、この映画のもう一つのテーマがホモセクシャル。

信長が光秀に抱く愛情。

その光秀と荒木村重の愛憎劇。

それらの行為が、実は気持ち悪い。

僕がきっとLGBTに無理解なんだろうけど(無理解のままで十分です)、それにしたってこの映画の残酷シーンのエグさと相まって印象が悪すぎる。

ビートたけしとして出演した大島渚「戦場のメリークリスマス」でのアブラードに包んだセクシャルが、ここでは、これでもかと生々しい。

これもまたキタノ流のアレンジなのかも知れない。

と、これは無理くりの賛辞。


自らが監督・主演というのもキタノ流なのだけど、あのたいけいでの秀吉は無理がある。

秀吉を知らない海外向けならまだしも、秀吉像がイメージ出来る歴史上の人物だけに、これは無理だろう。

海外向けといえば、この映画でもタップダンスがあった。

座頭市でも誰かが指摘したけど、ウケ狙いというのは、ビートタケシとしての芸人魂なのか。


ストーリーそのものは、史実に則った話であり、そこに男色を当て嵌めた点のみ、視点は新しい。


「男色を当て嵌めた」


いやぁ、自分で言って、言い得て妙!

そんな映画です。