井口資仁監督の突然の退任から1週間。
その後の千葉ロッテマリーンズは、毎日がサプライズの連続で、ある意味ワクワク感が止まりません。
先ずは、毎日櫛の歯が欠けるようにコーチが辞任して行きます。
最初は、次期監督候補の1人と目されていた鳥越俊介二軍監督の辞任。
続いて井口監督のダイエー&青山大閥のメンバー、木村投手コーチ、河野打撃コーチ、清水将海バッテリーコーチ、的場戦略コーチという4人が契約満了に伴い退団。
これで、井口資仁GMの芽は消えた。
これが5日の発表。
翌6日には、井口政権前からコーチをしていた川越投手コーチ退団。
川越コーチは、井口監督の招聘ではないけど、青学卒という事でのとばっちりかな、と僕は睨んでる。
かつて、ボビーイズムが一掃された時、ボビー派と見られたコーチが解任され職員までも閑職になったこともありましたからね。
7日こちらも監督候補と言われた森脇ベッドコーチが退任。
これで井口派メンバーの全員がチームを去ることとなりました。
まるで、Aクリスティの「そして誰もいなくなった」みたい。
犯人は誰だ?
まあ、この記事を見れば、フロントがコーチ陣の斬新を図り、これを井口監督が呑めなかった事での確執が、突然の退任に繋がったということらしいですね。
そしてまた、最大のサプライズは吉井理人監督の発表でした。
井口派閥が消えたとすると、福浦和也監督や外部招聘等の憶測が有りましたが、まさか吉井理人氏に白羽の矢が飛ぶとは予想だにせんかった。
そういやぁ、今年吉井理人氏は今年ピッチングコーティネーターというよく分からない肩書きでチームに残り、それでいてサムライジャパンの投手コーチを兼務するという、閑職扱いになったのかなと思ったら、終盤はチームに帯同してました。
これもnext井口を見据えての帯同だったのかな?
吉井理人氏がマリーンズの投手コーチに就任して5年前に、吉井そんの本を読んだことがあります。
そのプレビューをblogに載せたのを思い出しました。
その吉井理人氏について、自分で書いた事ながら、引用します。
著者吉井理人氏は、近鉄でクローザーを任せられ、移籍したヤクルトでは先発。
海を渡りメッツでは先発あるいは中継ぎを経験し帰国。
NPBに復帰してからは、オリックスと最後はロッテで選手としてのキャリアを閉じます。
選手時代は生意気で利かん坊な印象が強かったけど、自身振り返って、自分勝手な野球人であったと語ってますから、あながち印象というのは当たっているらしい。
本論に入る前に少しだけ吉井理人という人物に拘りたい。
和歌山県の簑島高出身で同高の東尾修を尊敬し近鉄時代は同じ背番号21を所望、ピッチングスタイルも、シュートを武器にした非常にクレバーな投手という印象でした。
中でも印象に残るのが近鉄時代の10.19の登板。
この試合でクローザー吉井は9回のマウンドを当時のエース阿波野に譲ります。
監督仰木彬の指示によるものでした。
当時を振り返る番組で阿波野が「俺が吉井の後に投げるのか」と面食らったとあります。
吉井理人はそのあと荒れてロッカーを蹴り上げたという話は有名です。
投手とはそれくらいのプライドを持てということなのでしょう。
では、その仰木彬と吉井が犬猿の仲か、と言われれば、そんなことなく、オリックスと近鉄が合併した翌年オリックス・バファローズ初代監督に招かれた仰木彬は、当時メジャーを自由契約となった吉井理人をチームに招へいしました。
また、吉井も仰木彬を生涯の師として慕っていたといいます。
ようは、監督と選手あるいはコーチを含めてぶつかり合いながらもお互いを高めてゆく関係と言うのがベストなのかな、という印象。
このように選手時代は我が強くどちらかというと自己主張が強かった吉井理人でありますが、ある意味そういう人が人に教えるのに向いていたりもするものなのかもしれません。
もちろん、自身が書いているように、自分は教えるような知識がない。
それならば学ばなければならない。
そこからの勉強が始まります。
やがて投手コーチとして、教えること・選手と接する事を意識してコーチとしての役割ができるようになったのは、筑波大の大学院で色々なスポーツ学を学べたことが大きいと書かれます。
これは、同じように大学院で学ばれている伊藤義弘氏も同じように語っていた事を思い出しました。
色々な競技やコーチ学を学ぶということは、自身のキャリアアップと同時に、自身の引き出しを多く持つ事にもなるという事なんですね。
具体的には、1軍は基本投手自身の管理に任せる。
選手からの問いかけがあって初めて相談に乗る。
逆に2軍は、どんな練習が適しているかというイロハから教えなければならない。
それだけに責任が重い。
トラックマンについても吉井自身の意見を述べてます。
プロで生きてゆくということは、出来るだけ個性が必要。
その個性は、ボールの質も含まれる。
ボールの回転数が多ければ、打者は手元でホップするような錯覚を覚える。
逆に回転数が少なければ、ボールは沈み、打者はゴロが多くなる。
ようは、おなじような回転数で投げる必要はなく、その特徴を伸ばすような指導を心がける。
少しだけ、栗山監督や工藤監督との確執についても触れてます。
監督の考える投手の使い方とコーチが考える選手起用についての隔たりはどうしても発生します。
かつて権藤コーチは、「監督は130試合全てエースで戦いたいと思ってる。投手コーチの仕事はそんな監督から投手を守ることだ」と語ったことがあります。
そう考えると、どうしても吉井理人という性格を考えれば監督との衝突は避けられない。
しかしね、裏を返せば、YESマンとして監督の言うとおりに選手の体調や準備を無視して登板を命じる投手コーチよりははるかにマシと言えるかも?
その吉井理人、ご存知ように今年のマリーンズの1軍の投手コーチに就任であります。
これまでの実績が買われて同郷同期の山下の推薦によるものなのか、ホークスでの同僚鳥越ヘッドの招きによるものなのかわかりませんが、この投壊状態のマリーンズ投手陣を立て直すのは、やりがいがあることでしょう。
いやあ、自分で書いた記事だけど、良い事書いてあるなぁ。
全然覚えてへんけど。
こんな書評書けるんだね、と自己満足、自己満足。
井口監督5年間の軌跡についての追悼、、、違った総括については別途書きたいと思います。
もちろんこれには政治的意図はないし、電通は入りませんよ。
念のため。