今の人に左翼って言っても何のことだか分からないだろうな。
ソビエト連邦や中華人民共和国華やかかりし時、そしてベトナム戦争が民族解放戦線と呼ばれた時代、共産主義を礼賛する人達を特に左翼呼ばれました。
しかし同じ左翼でも、日本や世界に革命を起こそうとする武力闘争を是とした極左から、ノンポリなメディア人で左翼シンパシーであった進歩的文化人まで千差万物。
そのノンポリの代表が朝日新聞であり、急先鋒を担ったのが朝日ジャーナル。
朝日新聞の唱える絶対平和主義は、極左の唱える暴力革命と対極なはずなのに、ノンポリ左翼は極左に羨望の眼差して見つめる、というのが昭和の時代であったと思います。
そんな左翼史を池上彰氏と佐藤優氏が対談で語り合う、という本のプレビュー。
戦中共産党員は投獄され迫害を受けました。
それもあり、戦後は逆に左翼である事がインテリの証とされる時代となります。
そんな左翼全盛の時代が1960年代から70年代初頭でありました。
本書はまさにその時代を対談という形で検証しています。
1960年代、左翼の掲げた平和主義は、安保反対が主体でありました。
それに学生運動が加わり、東大の安田講堂封鎖や日大抗争へと発展して行きます。
左翼主義も、政党化された社会党や共産党というパブリックな左翼からはなれ、より過激化した赤軍派や中核派といった武力構想を是という、一種のゲリラ化してゆきます。
泥沼化したベトナム戦争へのアンチテーゼもそれを後押ししました。
著者池上彰氏は当時東大生として当時の雰囲気をリアルタイムで感じろうし、その印象を冷静に語ってます。
意外なのは佐藤優氏がロシア研究の第一人者というだけでなく、当時の左翼の動向を良く研究されてるな、という事。
当時の左翼による学生運動を冷静に分析されています。
このへんの対談で、学生運動が決して一枚岩でなかったことを語られることが面白い。
例えば、安田講堂に機動隊が突入した時の逮捕者に東大生が殆どいなかったという。
あれは、学生運動を語る時、必ずと言って良いほどニュースに流れますが、えっ、そうだったのか、今更ながらに驚きました。
そして全共闘学生運動の中で最大と言われた日大闘争についても触れていますが、ここでも今更ながらに語られる話が面白い。
そもそも日大闘争は、イデオロギー闘争として始まったのではなく、20億円とも言われる使途不明金か明らかになったことがキッカケだったと言います。
ただでさえ高い授業料と定員の割増入学で不満を持った学生が大学に対して行ったバリケード封鎖が発端だったのですね。
それに対し大学側は武闘派を投入
全共闘との衝突が起こります。
昔の学生は根性があった。
いや、それよりも1970年代、既に日大は金の流れに不透明感があったんですね。
一昨年も同じような事件があり、理事長が解任、林真理子OBが新理事長に就任しました。
どの世界でも体質とは変わらないということでしょうか。
余談ついでに、ウチの次男は日大の理工学部出身です。
これが、授業料高かった!
長男は文系だったから、それに比べ理系は高いのか、と思ったけど、どうもそんな話を聞くと、疑わしく感じてしまう。
話を元に戻すと、最初は大学内抗争の意味合いが強かった日大闘争ですが、機動隊が介入し、そして警官の死亡事件もあり、闘争は泥生化して行きます。
やがて本格的な警察の徹底的な弾圧もあり全共闘は鎮静化を迎えますが、池上氏はこれを「大学のマスプロ化(大衆化)が産んだ時代の鬱憤」と呼びました。
名言だと思います。
その全共闘世代が産んだ代表的な闘争も東大は「大学の自治を守れ」というスローガンだし日大は「金を流れを明らかにしろ」という、怒りの方向性は違ったものだったのですね。
また、同様に同じ武闘派の左翼であっても行動の「中核派」と理論の「革マル派」という風に、左翼運動そのものも枝分かれし、やがては内ゲバに発展してゆくことになります。
このへんの話は本当に面白く読み応えありました。
最後にちょっと気になった記事を読んだので、この本に因んで取り上げたいと思います。
前日、共産党の委員長が党内選挙によらず長期政権を続けることに違を唱えた共産党員が除名されました。
記事はこちら。
そもそも民主主義と共産主義は水と油な訳ですから、共産主義に民主主義のやり方を問う事自体がおかしい。
つまりは共産党や共産主義というのは、長期政権を維持するものだという点を理解すれば良い。
北朝鮮や中国を見れば一目瞭然。
それでも、ここだけの話、ボクは市会議員や区会議員選挙においては、共産党に投票します。
共産主義の主張には1ミリも同調しませんが、共産党だけは、地方の公共事業に絡んだ汚職には絶対くみしません。
であるからして、議会に共産党が議席を持つ事は、一定の浄化作用が働くと考えるからです。
毒薬から薬は生まれる。