よく晴れて秋晴れの東北。
途中、グラススキー場発見。
SAで玉蒟蒻を食します。
山形に来たら、タマコンは外せない。
楽天パークでも毎回買ってたんだけど、いつの間にか消えた。
美味いタマコンは、スルメの出汁が決め手なんだと、ハーフ山形の嫁が申しておりました。
その割には家で作った事ないけど。
時代劇専門チャンネルで、藤沢周平劇場がやってますから、小説を読むのが面倒な方は、こちらをご覧あれ。
その藤沢周平記念館に隣接している鶴岡公園の致道博物館に寄り道しました。
情緒ある建造物が建てられてました。
これがなかなかに面白かったんだべや。
以下紹介すっど。
こちらは、旧西田川郡役所。
パンフによれ明治14年創建。
なにやら工事中にて中には入れませんでした。
旧鶴岡警察庁舎
明治17年建造
明治政府の威信を示すため初代県令三島通康の命にて建設されたとあります。
庁舎内に取調室が当時のまま展示されてました。
庄内藩は、徳川家筆頭家老であった酒井忠次の孫である酒井忠勝を祖としてその家系は明治まで続きます。
徳川家譜代家老の家柄とはいえ、江戸時代は改易や存亡の危機に見舞われたもののそれを免れたとあります。
中でも天保の大飢饉の際は、酒田の大商人本間光丘の尽力もあり、飢饉を回避、それが領民を動かし転封を回避したといいます。
その酒井の本間家といえば、「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」と謳われるような繁栄を、北前船で誇りました。
幕末では、会津藩と共に奥羽越列版同盟とし、明治政府軍と戦うも会津落城ののち降伏。
会津藩同様移封を命じられるも、本間家を中心に30万両を献金し、さらに西郷隆盛の助力もあり、庄内の地に留まることになります。
なお、この時の西郷隆盛の厚遇に感激した庄内藩士が後の西南戦争では西郷軍に参加せしめたことは司馬遼太郎著「翔ぶがごとし」にも詳しい。
こうして現地で庄内藩の歴史を眺めると、この郷土を誇りに思ったであろう藤沢周平が、こちらを舞台にした小説を書いたことが理解できるような気がします。
人間、齢(よわい)歳を重ねると、歴史とその風土・人の歩みが心に染みるようになります。
なかなか長い旅や余裕のある旅は送れないけど、それでも機会を見つけては旅をしたいと思うのであります。
これうんめいな。