津波注意報の警報で「私だって寝不足だ!」の騒いだYGです。
・・・・・・嘘です。
普通に寝てました。
ちーばは、アラーム鳴らなかったらぐっすりです。
 
さて、2021年秋の東北遠征時に行った、山形は鶴岡市での番外編です。
 
Ameba限定でアップしたけど、鶴岡市にある藤沢周平記念館を訪ねる旅でした。
その目的云々は、その記事をご覧ください。
 
 
山形は亡き義父の実家があり、昔から何度も行ったことがあります。
山寺の階段を死ぬ思いで登ったこともありますし、酒田の湯ノ浜温泉で子供達と海水浴したこともあります。

 

出羽三山、月山でバンジージャンプを見たこともあります(やろうという気持ちは1ミリもないけど)。
湯殿山の五重塔にある侘び寂びと山神を感じたこともあります。

 

まだ、山形道が米沢までしか開通してなかった頃、上杉神社にも行きました。
資料館で上杉謙信が羽織ったとされる真紅のビロードも見たし、上杉鷹山の「成せばなる なさればならぬ何事も ならぬはなさぬなりけり」という碑も印象に残ってます。

 

 
そう、僕は出羽国がずっと好きだったんだず。
 
そんな気持ちの高揚もあり、レンタカーにて山形道へあべ!
 
 

よく晴れて秋晴れの東北。

 

 

途中、グラススキー場発見。

 

 

SAで玉蒟蒻を食します。

山形に来たら、タマコンは外せない。

楽天パークでも毎回買ってたんだけど、いつの間にか消えた。

美味いタマコンは、スルメの出汁が決め手なんだと、ハーフ山形の嫁が申しておりました。

その割には家で作った事ないけど。

 

 

目的地、藤沢周平記念館については、限定記事で述べたから今回は割愛。
 

時代劇専門チャンネルで、藤沢周平劇場がやってますから、小説を読むのが面倒な方は、こちらをご覧あれ。

 

 

その藤沢周平記念館に隣接している鶴岡公園の致道博物館に寄り道しました。

情緒ある建造物が建てられてました。

 

これがなかなかに面白かったんだべや。

以下紹介すっど。

 

こちらは、旧西田川郡役所。

パンフによれ明治14年創建。

なにやら工事中にて中には入れませんでした。

 

旧鶴岡警察庁舎

明治17年建造

明治政府の威信を示すため初代県令三島通康の命にて建設されたとあります。

庁舎内に取調室が当時のまま展示されてました。

 
旧庄内藩主御殿院
幕末に江戸中屋敷を一部移築したと伝わる藩主の隠居所。
明治の廃城後は旧藩主の住居「酒井伯爵邸」となったそうです。
庄内藩の場所。
刀剣ワールド】北海道・東北地方の藩「庄内藩」(しょうないはん)
館内は、酒井家の家系やゆかりの品が展示されており、また庄内藩の歴史を順を追って記されています。
例に倣って館内撮影禁止ゆえ、その外観のみ。

 

庄内藩は、徳川家筆頭家老であった酒井忠次の孫である酒井忠勝を祖としてその家系は明治まで続きます。

徳川家譜代家老の家柄とはいえ、江戸時代は改易や存亡の危機に見舞われたもののそれを免れたとあります。

中でも天保の大飢饉の際は、酒田の大商人本間光丘の尽力もあり、飢饉を回避、それが領民を動かし転封を回避したといいます。

その酒井の本間家といえば、「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」と謳われるような繁栄を、北前船で誇りました。


幕末では、会津藩と共に奥羽越列版同盟とし、明治政府軍と戦うも会津落城ののち降伏。

会津藩同様移封を命じられるも、本間家を中心に30万両を献金し、さらに西郷隆盛の助力もあり、庄内の地に留まることになります。

なお、この時の西郷隆盛の厚遇に感激した庄内藩士が後の西南戦争では西郷軍に参加せしめたことは司馬遼太郎著「翔ぶがごとし」にも詳しい。

 

こうして現地で庄内藩の歴史を眺めると、この郷土を誇りに思ったであろう藤沢周平が、こちらを舞台にした小説を書いたことが理解できるような気がします。

人間、齢(よわい)歳を重ねると、歴史とその風土・人の歩みが心に染みるようになります。

なかなか長い旅や余裕のある旅は送れないけど、それでも機会を見つけては旅をしたいと思うのであります。

 

山形といえば、山菜と蕎麦だっちゃ。
帰路、仙台に向かう道すがら、古民家の蕎麦屋さんにて、山菜おろしそばを食しました。
山菜とキノコがこれでもかと入ってました。

これうんめいな。