思春期~中学生時代のIOLAと兄弟と家族



IOLA本人視点(小学高学年~中学1年)


こんばんは。IOLAです。


今回はASD特性のある私が過ごした、小学高学年~中学1年までの事を書いていこうかと思います。


当時、私の学校では、【●●●学級】という名前で、

今で言う、【特殊学級←当時は世間ではこんな名称だった気がします。】いつからかは忘れましたが、【特別支援学級とかクラス】とかいう名前になっていますね。


そもそも、【障がい者】という名称も子どもは知らない感じ。少なくとも、わたしには、【障がい】という概念がなかった。


聴覚障害、視覚障害、くらいは、小学四年生の時に、

自治体の社会福祉協議会、いわゆる、ボランティアセンターというものが、できはじめた時でした。


【●●●学級】というところがあって、

なんか、トランポリンとか、パソコンのゲームとか、ブランコとかがある、私たちとは

違うクラスで、違う雰囲気で、違う内容をしているところで、同級生の●●くんはこのクラスなんだな。という認識でした。


そんな中、私は時々彼らと話したり関わったりしていました。


私は、今で言うところの、【普通級】になりますが、

イジメも、されたり、気づけば自分もしていたり。


そんな小学高学年でした。


小学高学年から、両親の不仲や同居の祖父母が、今でいう、【認知症】になって居たこともあり、


とにかく父が荒れまくり、私は弟二人を守らねば!という気持ちと、両親に対する怒りや、父から母への暴言や暴力が怖くて憎たらしくて仕方なかったです。


そして、恋愛をします。

片想いです。


当時はXジェンダーという言葉なんてなかったのですが、両性が好き。特に、女子に関しては、執着が強かった気がします。いや、強かったです(笑)独占欲みたいなものもあります。イジメとかも絡んでたりするから。


でも、今振り返ると、男女ともに、非常にそれぞれがナイーブで、多感で、複雑で。


ぜんぜん私だけじゃないって、後になると思うんですけど。


小学・中学特有の、中学生に兄弟・姉妹が居ると守られる。つまり、目をつけられる、という事が暗黙の了解で、実は最近発見した当時の手紙のやりとりの中で、兄弟姉妹が嫌われていた子は、いじめられる、というパターンもあったようです。


私はイジメの対象のうちの1人でしたが、

私は主に無視とあだ名をつけられたタイプでした。


でもね、靴の中に画鋲入れられてた子とか、

あったんですね。


なんども、学年集会とかあって。


でも私も傍観者でもあり、加害者だったなって、その後思い知ることになります。


私たちの地域では、まず、保育園、幼稚園から始まりますよね?もちろん、幼稚部、とか施設とか色んな場所から始まるんです。まず、ここまで生きてることって、奇跡なんですね。


そして、この後、小学校で、また違う区域の子たちと知り合い、


中学では、またさらに、違う区域の子たちと過ごすことになります。


小学校では、中学校に行く前に、近隣の小学と主にスポーツ大会などを通して、交流する事がありました。


こんなに環境って変わってるんですよね。


そして、先生も子どもも、転校、転入、不登校、産休とか。あとは病気で長期間お休みする子とか。


たくさんたくさん、居ました。


そんな激動の中で、さらに思春期が来るわけで、心身の成長も変化もある中で、まあいろんな事がありました。


兄弟同士の比較とか習い事でも成績でも散々されたし。


ただ、私の場合、弟たちと中学では、ダブらない年齢差だったので、私の影響は多分下2人には、あんまりなかったように思います。


親視点(IOLAによる分析)


母は、私が小学生から、イジメを受けている事は知っていました。


私が登校拒否何日間、まではいきませんでしたが、

仮病を使って休みを取ることがありました。


理由は、イジメもあるけど、それよりも。


日付を跨いでの、父親から母親への罵声や暴言や暴力。私たち子どもにも、向けられていました。


深夜3時まで母にお酒を飲んであーだこーだ。

当然、すんごい音量なので、眠れるわけがなくて、私は布団の中で声を殺して泣いていたり、神様お願い。止めて!お母さんを守って!とよく祈っていたものです。…うっかり、私視点になってますが、


母は、母で、子どもを守る。なだめつつ、反論する。

祖父母も居る。介護する。自営業の仕事する。家事に育児。


…そりゃ、よくやった。むしろ、なんでそんなにできるんだ?と。よく子どもながらに思ったものです。


父の職種は、この時は夜勤は無いものの、時間が不規則のシフト制の仕事です。


酒癖が悪くても、子煩悩な1面もあるんですね。


うちの母は、畑仕事が好きで、毎朝早いです。


しかし、父があんなもんだから、飲み会などの日にはよく、


あ~やだな~~~。怒られる、めんどくさい、夜がくる。そんなことをよく言ってました。


母は、守りたかったんだと思います。子どもも、この自分の家も。


母はよく、わたしに、


あんたがやらないと私が父に怒られる!


とボヤいていて、


私はそれが不満でしたけども、


なんせこの時、


祖父母認知症、


私、超思春期


私、習い事が月~土までびっしり(笑)


いや、信じらんないハードスケジュール(笑)


しかも、部活を5~中三まで運動部なので、


大会は日曜日。


い!つ!や!す!む!の!!!


母はお弁当だけは、必ず作ってくれました。


検定試験とか発表会とかもあったなぁ。そろばんとか、ピアノとか。日曜日だし!


母は車の免許ないし。


両親か片親で応援に来たのなんて、数えるくらいしかないけど、


母は私の小学の、最後の部活の大会には来てくれたみたいでした。写真が残ってたので。


…えぇと。母からしたら、子どもは守りたい。

父はめんどくさい。だから、畑や店を守り、しつつ、


畑の植物や作物や生き物と会話する時間が、

母の唯一の楽しみで、


店に来てくれるお客さんとの会話で、息抜きしていたのだと思います。というか、本人が言ってるし(笑)


店といっても、大企業とかではなくて、小さな、昔ながらのお店です。


それから、私の母は、水周りが苦手な代わりに、DIYをよくします(笑)男勝りなかあちゃんです。


あと、親戚付き合いは苦手ですが、それなりに、大切だと感じていたようで、嫌々もあるけど、共通の話題や自分が好きな事やものを見つけると目がハートになるような人です。



私は私で家以外の繋がり。


母は母


父は父


弟たちは弟たち


それぞれの【家】以外の繋がりで


いろいろあったけど、今がある。


そんな気がしています。



今日もみんなまとめて、


お疲れ様でした!!!


これからお仕事の方は、お気をつけて。



IOLA