私は英語と手話を同時期くらいに、玩具だったりテレビだったり、周囲の人が使ってたり、本で知ったりして覚えてきました。
幼少期の積み木にはアルファベットとか書いてあったものがありました。昭和の終わりから平成初期まで
Eテレ(当時は教育番組)が大好きな幼少期でして、
体もちょっと弱かったりしたので保育園とか休んだりした時はひたすらEテレ。
子どもさんによっては、全くそこを通らずに、総合テレビの方だとかにしか関心のない子も、もちろんその子次第だし、そもそも、テレビに関心のない子もいるのだと思うのです。
小学二年生くらいから英語教室(教会)に通い、
手話は家に来た老夫婦(旦那さんがろうあ者)の奥さんがよく買い物にいらしたので、みてるうちに覚えた感じ。
小学四年生の頃には学年行事で『福祉分野』に対するいろんな学習があり、私はたまたま、手話に馴染みがあったので学んだりしてました。
視覚さんに対しては主に、アイマスクをして介助者役と当事者役になって、歩行してみる体験が多く、
点字に関してはあんまり触れなかったと思います。
初めて点字を打ったり、50音を学んだのは、私が中学生の頃でした。
点字は、私にとっては、福祉というよりも、
暗号の解読みたいなイメージに近かったのだと思います。
資料は50音や濁点、半濁点、数字、単位、アルファベットまで記載された資料をいただいたのですが、
当時は今ほど、食品類とか機器(受話器)とかに点訳はなくて目にする機会もなく、資料は保管したままになって眠っていたのですが。
20代後半くらいから務めた職場に視覚さんのお子さんが居たり、20代前半に知り合った友人・知人の当事者に会ったりとする中で、街中でも点字が打ってあるものが増えてきて、その度に資料どこにしまったっけ?
と思うようになりました。
時を経て、その資料を発見し、いわば暗号解読表みたいな手掛かりなので少し自分がわかりやすく資料をリメイクして持ち歩き、読んでみたりしています。
読めた時の嬉しさはものすごく感慨深いですが、
よくこのような仕組みを考えたものだと
尊敬するばかりです。
手話は、歴史や地理、漢字、数字、アルファベット、その物の形を使い、表情や空間を利用してありとあらゆる表現をします。
50音はほぼ、数字や顔などの部位、アルファベット、カタカナから用いられていて、【指文字】と呼ばれていますが、
私の表現でいうと、いわば【ふりがな】です。
手話で表現し切れない場合は、この、【ふりがな】が大活躍する訳です。
海外の方の名前や、カタカナ言葉なんかは、だいたい最初は指文字。
読み仮名がわかる訳ですね。
海外との交流がなければ、現在使用している
指文字も点字も、日本に入ってきていないし、より日本人がわかりやすいように考案もされていない。
当時海外との交流があって初めて発展していった。
それぞれが、それぞれに合った、情報保証の選択が自由にできる社会に。
私は耳は聴こえます。目も見ることができます。
しかし、声が出ない時があります。
そんな時
今まではジェスチャーや筆談をしましたが、手話を使うようにしています。
楽です。
点字はもう少し、規則を学んだなら、きっと読めるようになれそうです。楽しみです。
みんな繋がっている。
そんなことを、それぞれの【言語】を通して
感じたのでした。
IOLA