緊張からか、一睡も出来ず東京のビジネスホテルで目覚ましを消す、
今日も寝坊をせずに済みそうだ。
姉に借りた小さなキャリーを引いて東京駅へ歩く道、雨がパラパラ降っていた。
傘はない、いつもないけどまぁ良いか、向かう先の天気予報はこれから4日間ずっと晴れだ。
まだ薄暗い7時の八重洲口でお客様を待つ。待つと言っても前回の30名を越えるお客様に対し今回は6組12名様。
ちょっとお高めの少人数でゆったり美味しいものを、との謳い文句につき少人数。
東京65才以上の自粛で1組減ったけどね。
いつもの昨日、ご参加の方へご挨拶の電話をした。
よろしくお願いします、の後に今回携帯する電話番号を伝える、
東京駅に集合せず途中駅から乗るお客様には、新幹線の号車と席番号をお伝えする。海外の平均15分と違い、こちらから言うことも、聞かれる事もなく2分程で挨拶は終わる。
あの~65才以上の参加者はいますか?
はい、皆様65才以上ですからご心配なさらずに。
あぁ良かったわ、わたし若づくりしなくちゃ、と考えてたの、と
80後半に思えない若々しい声のマダムは言った。
こちらもホテルも観光地も、しっかり感染症対策をしていますのでご安心下さい、と伝え電話を切った。
東京駅より東海道新幹線ひかりに乗車、途中新横浜から2組が無事乗車し皆様が揃う。
名古屋駅を過ぎると新大阪まで各駅で止まります、とのアナウンスの10分後、初めて耳にする下車駅の岐阜羽島に着いた。
前回の名古屋駅ではガイドさんとの待ち合わせ場所にたどり着けるか心配したが、ここは改札が一つしかない、コンビニとそば屋が一つずつの小さな駅、私のような初心者で田舎者にはありがたい。ガイドさんには2分で会えた。
岐阜に降りたが向かうは京都の宮津市へ。
新幹線では太平洋がちらり見えたが、まもなく走ると日本海が見えてきた。
福井県、小浜市。福井県の海岸線には3つの原子力発電所があるが、小浜はNo I cantと頓挫し火力発電所の塔が見える。
若狭湾に面した中心地にせくみ屋ホテル、今日の昼食はこちらでふぐの舞フルコースを頂く。
ふぐの刺身にふぐの餡かけ、ふぐちり鍋にふぐの唐揚げ、ふぐ釜飯にふぐ茶碗蒸しと、一通りメニューをお伝えした後、私は乗務員室に通され甘口のバーモンドカレーを頂いた。
食後、海を眺めていた。
1978年、ここで彼女とデートしていた青春真っ只中の若者地村さん浜本さんが、一瞬にして北朝鮮に拉致された。
ばか野郎北朝鮮、
日本も日本だ、ばか野郎社会党、
日は差すもひなびた演歌の日本海岸線の町を感じながらホテルに戻る。
やはりここは夏の海水浴シーズンに多くの人が来るのですか?
と、ホテルの人に聞くと、
夏は逆にオフシーズンで、11月のカニに始まり今はふぐ、冬場に多きの人がお見えになる、との事だった。
ひなびて見えたのはお昼時だったからか、確かにお昼ご飯にも多くのグループが立ち寄る位だから、夜はもっと賑やかだろう。
なるほど。
その後バスは京都府に入り、目的地宮津手前舞鶴に入ったとガイドさんが言う。
はっとして、あっと思って写真を撮った、
こんな感じだった、20年以上前、お付き合いしていた彼女の実家が舞鶴にあり、家は海岸線ののどかさの中にあった。
おじさんちに行こうと山あいの田畑が広がる集落で、おじいさんちでそばを打ったりした。
その後フラれた時には、ショックも大きく舞鶴市からは出入り禁止を言い渡された気分になったものだ。
高速からでも実家のあった海岸線の町は見えないかなぁ、ともう少しノスタルジーを追いたくなった瞬間海が見えた、
さっとタブレットを取りだし写真を撮ったが、
もう見えなくなっていた。やっぱり出入り禁止なんだよ。
おいおい、そんな感慨に浸っている場合じゃない、
もうすぐ宮津、天橋立だ。
私は足元のキャリーを開け、図書館で借りてきたるるぶ京都を取り出した。
あまの、アマの、天の橋立、、えーーっと、みやつ、いやみやづ、宮津、、あれっないじゃないか、この京都って府じゃなくて京都市だけなのか。
まったくだぜ、地球の歩き方でいうイタリアのようなものか、るるぶだけで京都は3冊くらい作れるのか、いやはやだ。
埼玉なんてあっても3ページくらいなのに、、、。







