8月5日、ミラノ。
久々のイタリアミラノ、
起きたのはホリデーインミラノノルドザラ、空港近く
ミラノの北方。寝るだけの昨晩だったので、ここに
お金を使わなくて良い。
久々のミラノ、あまりの新鮮さ中心部へ向かう道路まで
撮ってるよ、お上りさんです。
パンフレット上車窓からだが、下車して撮るのは
スフォルツェスコ城。
1450年ミラノ公ヴィスコンティー家の城跡にスフォルツァ家が
城兼要塞を建設とある。
少し歴史概要を、
ミラノ、ロンバルディア州(イタリア20州)の都。
ケルト人のいた地は紀元前227年ローマ時代始まる。
293年にはローマ東西分裂後、西ローマ帝国の首都に。
313年キリスト教=ヨーロッパと位置づけたミラノ勅令。
539年ゲルマン人の大移動後フランク王国の領土に、
9世紀、欧州を版図とする神聖ローマ帝国下多数の都市
が自治を認められ自治運営する自治都市国家時代に入る。
神聖ローマ帝国から自立した自治を認められた1395年から
1559年までがミラノ公国時代、1447年までヴィスコンティー家、
1559年までスフォルツァ家が権力の座に着いた。
1559から神聖ローマ帝国領、
1714からオーストリア、ハプスブルク領、
1861年よりイタリアに。
ヨーロッパの市の中心はいつもどこでも大聖堂、
添乗で最初に来たのは20年ほど前かと思うが、年々バス規制
のため下車場所は遠くなる。
よってナポレオン像建つブレラ美術館の横を通り、
ここは素通りした場所なのだが、
これが本場のルネッサンスか、と建築に驚かされ添乗員だけ
写真を撮り、そして前方を見失う。
目的地までまだ黙々と歩く、
地震がないから、石造りだから古いものが残されるのでは
ない、残そうと思って何百年とメンテナンスをし続けている
から今がある。それは歴史的文化財でもただのアパートメント
でも同じ。
ただのアパートのメンテナンス現場でも立ち止まり
前を見失う。
オペラの殿堂スカラ座、
1778年スカラ教会の跡地に建てられたのでスカラ座。
その前スカラ広場にレオナルド・ダ・ヴィンチ像、
今回行かないが、サンタマリアデッレグラッツェ教会の
修道院部分にかの最後の晩餐を描いた画家レオナルド、
またはダヴィンチ。
イタリア王国誕生後、1877年に完成するアーケードは
日本で言うアーケードとは比べものにならない位凄い、
初代イタリア王国の王の名を取ったヴィットリオ
エマヌエーレ2世アーケードは、
産業革命で量産された鉄とガラスを駆使して、
景気良くイタリア中の大理石をこれでもか
これでもかと使うだけでなく芸術性に富み、
そして国の歴史を来るものに伝えている。
お嬢さんが立っている、
このトリノを紹介するモザイク床の馬の金玉にカカトを
立て3回回ると幸運を得られるという。牛はたまったものでは
ないが、、
アーケードを抜けるとどーもです、ドーモです、ドゥオーモ
です。
日本語で教会と呼ばず大聖堂と呼ぶ教会は、ただの教会では
なく街全体の教会を統括する教会と言えば良いか、、
英語やスペイン語ではチャーチと呼ばすカテドラル、
キャセドラルと言い、
ドイツ語圏ではチャーチと呼ばずミュンスターと言った。
イタリア語ではチャーチと呼ばずドゥオーモです。
この空に突き出た先頭を13~15世紀、フランスを中心に流行
したゴシック様式の外観。
10~12世紀のロマネスク様式、飛んで
16世紀のルネッサンス様式発祥のイタリアでは逆に珍しい
かと思うゴシックの大聖堂。
1395から1559年のミラノ公国時代の顔である。
1時間程フリータイムにしたら
ランチを取ってしたらヴェネチアへ行こう。





















