ライプツィヒとバッハ。 | 添乗員 森田 世界の旅

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ハネムーン

3月15日、午後ライプツィヒ。

バスはアウトバーンを時速100㌔のスピードで南へ

向かう。190㌔どこまでも平坦な土地に麦の芽が見え

ザクセン州に入るとすぐにライプツィヒに到着。

 

ライプツィヒ、人口はザクセンの州都ドレスデンを

上回る56万人、元々人間の往来が多かった北方の

平野部は東方と欧州を結ぶ通商街道となり、

1165年には神聖ローマ帝国の有数な商都として認められた。

1212年にトーマス教会が建ち、

1409年にはハイデルベルクに次いで2番目の大学も建った。

16世紀にはザクセン選帝候都市になりルネッサンスな市庁舎が

建った。

15世紀にゴシック様式に変わりプロテスタントにも

変わったトーマス教会にバッハがカントル(キリスト教音楽の

指導者)として招かれたのが1723年38才の時。

1750年65才で亡くなるまでにバッハはこの地で20人の子供を

作った。20人の子供の前に多くの楽曲か、、

上のバッハの銅像、コートの左ポッケが外に出ているのは

子供を作りすぎてお金に困っていたとの事らしい。

バッハのパイプオルガンのある教会内部。

聖歌隊の席に囲まれてバッハ眠る。

目の前のバッハ博物館では楽譜入りのTシャツ。

この町やたらと集合住宅の下を抜ける歩道が多い、住宅の

下に町がある感じだ。

ガイドブックによるとここアウアーバッハスケラーは1525年

創業のワイン酒場、バッハだけでなくゲーテも森鴎外も来た

という。(写真だけ撮る)

初めてのライプツィヒにガイドもいなかったので、多くの

写真は撮れなかったがまた一つドイツの素敵な町を知った。