8月12日、午後はカルタジローネ。
タオルミーナのホテルへと続く階段を下り、小型のシャトルバス
で山を下り、いつもの大型バスに乗り換えて、
海岸線の高速道路から海とエトナ山の間を抜け、
カターニャより内陸に入っても、エトナ山に丘陵のどこまでも
人の手の入った農地を眺め、120㌔。
オリーブ畑にブドウ畑、そして広大に麦畑が広がっている所、
その中心には決まってローマ時代から続く町がある。
カルタジローネに到着。
山のてっぺんからその斜面に立体的に交差する通りと、
合理的に並べられた家並みがあれば、そこは8世紀より
アラブ人によって築かれた現在の町の形と思って良い。
海側はギリシャに始まるが、内陸は2000年前のローマに始まり
ゲルマンにビサンチン、そしてアラブ、12世紀にノルマン、
その後はドイツ、フランス、スペイン、オーストリアと続く。
が、この街は1693年の大地震で殆どが失われ、
震災後、バロックで再建された街。震災に見舞われたここの
他カターニャやラグーサ、ノートと言った街はいずれも
バロック建築の時代に再生し、それらを合わせて世界遺産と
なっている。
クーポラにはこの町の名産陶器が貼られ、カルタジローネ陶器の
色であるグリーンと黄色の組み合わせ。
この町の名物はスカーラ、その名も階段。
バロックで再建された町の市庁舎から山の上の教会まで
142段の階段。
1954年に、アラブ時代に伝わりこの地に根付いた陶器タイルが
一段一段に張られ、
辛く長い階段も、上る動機を与えてくれる。
階段もすごいけど、階段に沿って建てられる17世紀バロックの
民家もすごい、
608mの山肌に、見事に並べた家並み。
階段上から眺めるカルタジローネの町並み。
階段の上のサンタマリアデルモンテ教会。
身体に鞭打たれ上ってきた訳ではないが、キリストのはりつけ。
バスが入れない様な石畳の馬車道は、観光用のミニトレインで
移動する。
助手席に座らされ、備付けのマイクで町案内を読まされるの
だが、この音が選挙カーレベルの大音量で町に響き渡る。
カルタジローネの町の皆様、お騒がせして申し訳ありません、
こちらは○○交通社、○○交通社、日本からやってまいりました
○○交通社でございます、あっパン屋のおじさんボンジョルノ、
ボンジョルノでございます、
最初は嫌だったが、このマイク悪くない、癖になりそうだ。
こちらは○○交通社でございます、廃品回収車では
ございません、○○交通社です。シエスタの午後お騒がせして
おります、、、
さて、次に行くんべか。
200㌔シチリアの内陸部を走り抜け、海が見えてきた。
ナポリ、アマルフィーで見た海と同じティレニア海が
見えてきてパレルモに到着した。
ホテルに入る前に立ち寄った、
Arte & Tradizione というピザ屋が美味しくて、
美味しくて、ミミも含めて全部頂いた。
のは、添乗員だけだった。窯のあるピザ屋に日本人サイズは
残念ながらない、ない、ない。
ごちそうさまでした。