シントラの王宮が面白い。 | 添乗員 森田 世界の旅

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4月9日、

オビドスの隣町、カルダスダライーニャに宿泊した。

今回は宿泊だけの予定だが、以前ここには朝一を見に来た

ことがあり朝食を早めに切り上げて出発を15分遅くし朝一

をご案内した。

7時から開催しているとは言うが、まだ早かったかな、

地元のご婦人の買い物カゴを転がし広場へ向かう様子は

まだない、

広場の半分に店は出ていたが、、、

中世のヨーロッパの広場は商業の場であった、との説明は

ドイツでもイギリスでもスペインでもするところだが、

今でもこうして広場が商業の場として現役であるのは珍しい、

ポルトガルの片田舎ではそれは感じられた。

 

104㌔南シントラへ。

王宮を見学する。

8世紀ここに城を建てたアラブの王が目を付けた

シントラの山は、レコンキスタ後もポルトガル王家

が使用するが、

14世紀の後半にカステージャとの戦いに終止符をうち

時間にゆとりが出来たジョアン1世王により大改築が

行われ今の形となる。

時間にゆとりが出来たジョアン1世は侍女とのキッスを

見られてしまいピーチクパーチク噂が飛び交った様子を

カササギで表した、

悪気はなかった、と言葉を添えて。

イギリスからきた王妃イサベルとの間に儲けた

女の子は27才という歳まで結婚せずにやっと嫁ぐ

が、その寂しさを27羽の白鳥で表している。

天井も良いが、

壁ときたらポルトガルアズレージョ(タイル)史の

全てがわかると言って良い造り。

色々な色を使ったものがアラブの時代から焼かれた

がポルトガルは最終的に青と白に落ち着いた。

タイル貼りが間違えて付けてしまった一枚が、、、

わかるかな?。

チャペル、床に8世紀アラブモスク時代の

モザイクが残り、

壁にはハトが描かれる。

天井は樫と栗の木を使いアラビア風のムデハルに。

天正の少年使節もリスボンのイエズス会修道院に

滞在していた時ここを訪れている。

その時のものではないが

屏風(ビョンブ)はポルトガル語になる程流行った。

夏の避暑を考え、中庭に面して大きな窓から

心地好い風が室内に吹き抜ける。

シントラの王宮は面白い。