コルドバ近郊のとある丘。ロバートキャパ、崩れ落ちる兵士。 | 添乗員 森田 世界の旅

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北側にシエラモレナ山脈がそびえ、南側にはその山並みに
並行し流れる大河グアダルキビールが流れるその間にローマ時代
町が建設され、8世紀よりイスラム教徒が500年に渡り都とした
コルドバの町がある。
アンダルシアの丘陵はオリーブの木で埋め尽くされているが、
コルドバの半径40㌔程は緩やかな丘陵に冬になり雨が降り始めた
今、わずかに大地から芽を出し始めた緑色の麦畑が広がりを見せる。


時はあっという間に過ぎてゆくが、気がつくと10年前と
同じ話をしていたり、気がつくとつい最近買ったと思っていた
ガイドブックも10年前のだったりする。

新ネタ。と言っても1年以上前図書館でたまたま手に取った本の
話(沢木耕太郎、キャパの十字架より)だが、
スペインで過去1度この話をしたことがある。
今回は2回目、うまく話せるだろうか?。


この写真は小さい頃、おそらく小学校の何かに見た覚えがあった。
それがスペイン内戦(1936~1939)時に撮られたものとは
知らなかったが、
ロバートキャパ撮影、崩れ落ちる兵士。副題にコルドバ近郊の
とある丘とある。

コルドバ戦線で頭部を打ち抜かれ倒れる瞬間の人民戦線兵士を
撮影した奇跡的な1枚だ。

 

 


1913年ユダヤ系移民の父のもと
ハンガリーに生まれたフリードマンは、
20歳を前にベルリンで通信社の暗室係の職に就くが
ユダヤ人排斥運動が激しくなり
1933年ブダペストの旅行社でカメラマンの職に就く。
その後パリに拠点を構えるも写真は売れず生活は困窮する。

ちょうどその頃スペインでは軍人フランコによる軍事独裁政権
樹立に向けた内戦が勃発しはじめ、ユダヤ人としてナチス化する
動きを止めるため。
か、報道カメラマンとしてひと旗あげるためか、いずれにせよ
カメラ1つをもって、パリで知り合ったカノジョ、ゲルタタロー
と共に戦地スペインにやってくる。

 

 


しかし戦闘は一向に起こらず、彼らはコルドバ近郊の
とある丘で演習をする人民戦線の様子などを撮りながら
時間を過ごす。

撮った写真のフィルムは写真社に送るが、名もない若者の
名で送ったところで封も開けられないと、
既に偉大な業績があるカメラマン、ロバート
キャパなる架空の人物で投稿すると、
1936年の9月号フランスの写真誌ヴェにこの1枚が掲載、
翌37年7月のアメリカLIFE誌に取り上げられ、
この写真はピカソのゲルニカ同様反ファシズム(または反戦)
のシンボルとなり後世語り継がれる1枚となる。

1944年第二次世界大戦時にはドイツ軍と連合軍が激戦を繰り広げる
ノルマンディー上陸作戦の模様を撮影。

 

 


写真を焼く際の不手際によりかなりピンボケだが、
これにより権威ある報道分野の賞であるピューリッツァー賞を
受賞する。
国際写真家集団マグナム社を立ち上げたキャパは
1954年にはカメラ毎日の創刊記念パーティーで来日した際、
ライフ社より依頼を受け第一次インドシナ戦争の取材に羽田から
北ベトナムへ、そしてフランス軍陣地に向かう途中地雷を踏んで
41才にして死亡する。

ノルマンディー上陸作戦の写真著書(ちょっとピンボケ)を翻訳した
キャパを尊敬し愛してやまない沢木耕太郎氏は、

 

 


キャパがこの世に出るきっかけとなったこの1枚を追い足繁く
なんどもスペインを訪れている。
反ファシズムの範疇を超え反戦のシンボルとなるこの1枚は、
同時に良からぬ疑いもかけられ、
当時のカメラの性能から撮れるはずのない(奇跡の瞬間)
演技させたのだろうとも言われていた。

そうではないことを立証しようと沢木氏は独自の取材を
進めるが、今まで誰も知ることのなかった真実を知ってしまう。

この兵士は撃たれていない。と、

演習中、丘陵を駆け下りる市民兵の一人が足をすべらせ
コケた瞬間であったことを。

そしてこれは後にロバートキャパを名乗るフリードマンの
撮影したものでなく、恋人ゲルタタローが撮影したものだと
真実にたどり着いく。
 

 

 


この写真がロバートキャパ名義でライフ誌に掲載された
14日後、ゲルタはスペイン内戦の本当の戦いの中命を
落としている。

詳しくは、まさに沢木耕太郎薯、キャパの十字架。
の中にあるが、

演習中の市民兵とがコケた瞬間と説明を添えないまま、
戦地に赴いたもの戦場の現場は中々な訪れず、
ロバートキャパなる実績ある偉大な写真家とウソをつき、
取り敢えず撮ったフィルムを各写真誌社に送ってみた訳だが、

この1枚は、崩れ落ちる兵士。としてセンセーショナルに
祭り上げられた。

フリードマン青年は偉大なる写真家ロバートキャパの名を
背負い、亡くなったカノジョとの秘密を背にその後本物の
写真家になってゆく。この時背負ってしまった十字架が
ノルマンディー上陸作戦、ピューリッツァー賞、ベトナムでも死
へと繋がってゆく。


そんな話を朝7時半にマドリッドを出発し
夜中24時に終わるグラナダを前に話したところで
皆さま疲れきって寝ているのは承知している。

 

 


以上が、今後採用されるかわからないコルドバ近郊の
とある丘、を見て話したネタでございました。

ほなほな、おやすみなさい。

今現在旅の最終地点、リスボンに無事到着。
明日はリスボン周辺を日本語ガイドさんと共に
見てまいります。