添乗ノート、ガウディーとサグラダファミリア。 | 添乗員 森田 世界の旅

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8時過ぎ朝日が登った地中海をモンジュイックの
丘から眺める所から観光はスタート。

バルセロナは2人の世界遺産建築家が1900年前後に
作った建物がそれぞれ世界遺産になっている。
その1人がドメニク モンタネール(1850~1923)。


庶民の暮らしがある旧市街ゴシック地区にカタルーニャ
音楽堂を建てた、他にサンパウ病院など。

 

 


この音楽堂が建つ地区の通りを僕はエリカ様通りと
呼んでいて、3年ほど前に沢尻エリカ様がスペインに
身を隠していた際ミヤネ屋が、エリカ様バルセロナで
発見!とスクープをとった時その現場はここだった。

 

 


街の目抜き通りパセオデグラシアは一流のブランドショップが
軒を連ねる。産業革命で財を成したブルジョアは
時の、そして後世語り継がれる建築家に集合住宅の建設を依頼する。
プラタナスの影にアントニオ ガウディー(1852~1926)作の
カサバトリョ邸があるが、その横の切妻屋根のプッチ イ ガダファルク
作のアパートも素敵だ。
 

 

 


本日のサグラダファミリア(聖家族教会)。
2026年、ガウディーが亡くなってから100年目を迎えるに
あたり今日も急ピッチで建設が続く。

 

 


1866年サンホセ協会の創始者

 

 


ボカベーリャ氏により教会の建設構想が始まる。
1882年着工、初代の建築家は1年で辞め、2代目として
就任するのが当時31才のガウディー。
5年前のパリ万博でスペインが誇る革手袋屋の
手袋を入れるショーケースが後に生涯の理解者となる
グエル伯爵の目にとまり、芽がで始めた矢先のことだ。

アントニオガウディーの名で世界遺産なのでその後人生の
43年間で積んだ石

 

 


この4本の塔の部分が世界遺産となっている。
そこは正門ではなく南側に位置する生誕の門の部分で
イエスの誕生前夜からの物語が後の彫刻家によって
彫られている。
1978年若き日本人青年外尾悦郎氏が石を彫りたい、と
飛び込みでやってきた。そして彼の作品は現在正面入口の
上を飾っている。
イエスの誕生を祝い楽器を奏でる天使達、6体の顔は
日本人が彫ったからか日本人の顔をしている。

 

 

 

外尾氏のものではないが生誕の門では神の子が
生まれたことに危機感を感じたヘロデ王が(結局神の子
が誰だかわからないので)幼児を虐殺するシーン。
その白い下半身。


若きイエスが大工の親父(養父)ヨゼフの仕事を手伝う
シーン。その白い手と指のない左手。
ここ数年いくつかの部分が欠けてしまい修復された跡だ。
大丈夫かサグラダファミリア。

 

 


これが僕にとって本日の初お目見え生誕の3つの
入口の扉(外尾氏の作成)。


難民が押し寄せたかのような一般の入場口には
今日も長蛇の列、今やサンホセ協会の信者による寄付金が
建設費、よって今後完成まで100年以上かかるだろう。
という時代はバルセロナオリンピックを期に変わり
アルハンブラの入場者数を超えた年間300万人近いお客の
入場代と

 

 


2010年先代のローマ法王の訪問から始まるバチカンの
資金が加わり10年後の完成という目処がたった。
法王の訪問を契機に内部は教会として機能を始め


訪れる度に完成度を増す内部空間、

 

 


ステンドグラスは伝統にのり聖書の場面を描かずに
ガウディーの見た自然界の色が当てられ、その光は
虹となって内部に差し込んでいる。

 

 


正面入口の白もまた素敵だ。

天井から差し込む光、枝分かれした柱から差し込む光は、
6歳でリウマチにかかりろくに
学校にも通えなかった幼少期、医師から言われ木々が生い茂る
近所の森を歩きそこに見た木漏れ日が教会内に差している。

 

 


1924年、亡くなる2年前に撮られたガウディーの写真。
1926年6月10日73歳で、その3日前建築現場をでて教会の
ミサへ向かう途中路面電車にはねられる。

43年間携わり最後の11年はその他の建築依頼を全て断り
教会のみに生涯を捧げたその風貌はまさにホームレスかの
様だったと言う。

 

 


敷地内には現場の家族が通えるようにと考えた学校も造った。
その最後は年老いた老人が電車にはねられた。というのとは
違う、電車の存在にも音にも気づかないくらいの
何かが天才の頭を支配した瞬間だったと思いたい。
 

 

 


バルセロナの南西100キロのタラゴナにある水道橋。
2000年前のローマの時代に作られたものだ。
ガウディーはここから少し山側に入ったレウスの村に
生まれている。
産業革命に沸くバルセロナから精神的にも地理的にも離れた
田舎でみた自然、山と森と地中海。山奥に存在するローマの建築。
アールヌーボー、モデルニズモと呼ばれる新たな芸術の波は
そんな時代のもので、過去にも未来にもない唯一のものと
言われるが、その自由で斬新な発想と形というものは
建築の歴史と自然の全てを熟知したものだけが描けたものだ。

ちなみにその感覚は現代もバルセロナでは受け継がれ
次々に自分の住む地域ではとても作れないようなビルディングが
立ち並ぶ。
教会を重んじある意味保守的な欧州だが、
東京でも目がチカチカする、景観を乱すと言われとても建てることが
出来なさそうな真っ赤で素敵なオフィスビルの作者は
東京オリンピックスタジアム選考からもれたB案の伊藤豊雄氏の作品。
バルセロナに来た方なら必ず目をひく(作者が誰だか知りたくなる)
ビルのひとつだ。

今日もまたつまらぬ事を長々と書いてしまった。

 

 


オリンピック港で食べた昼食はパスタのパエリア
フィデウア、途中からこれにニンニクマヨネーズ(アリオリ)
をつけるのがまた美味しい。
その美味しさとは別に、この前週刊誌でみた殺してやりたい程
ムカついている旦那の弁当に輪ゴムを入れてやった。という
一文を読んだが、僕だったらこのアリオリを添えてくれたら
気づかずに食べちゃうと思う。それくらい
にんにく(スペイン語でアホ)愛してるよ。