添乗員になる前の、、ラブホテルの清掃員 | 添乗員 森田 世界の旅

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今日は会社に行き、その後レンソイスについて

先輩に教えてもらいたいことがあり池袋へ。


じゃぁ、イケフクロウの前で待ってるから、

了解です、すぐ行きます。

とは言ったが池袋駅は大きい。やばいわからない、

何人かに聞いて東口まで来たがそこからもどうも、


時間に遅れてる、もう一回聞いてみよう。

すみません、イケフクロウはどこですか?


オニーサン、イケフクローワアッチアルヨ

中国のひとだった。僕はシェイシェイとお礼を言った。



昨日の続き

森田洋平37歳10か月、当時22歳。


4年間の放浪をやめて帰ってはきたが、特に

何かをしたくて帰ったわけでもなく、軽いホームシック

だったと思ってる。


今思えば、旅の目的であった映画作りの学校に

通ってもよかったが、22歳、周りの友は働いてるし

そういう気にはならなかった。


ではどうする。

そうだ、直木賞作家になろう。

映画監督への近道は4年の勉強でなく、直木賞作家だ。


よし、期限は1年、まずは格好からだ。


田舎の田舎に家賃2万円のアパートを借り、

家にあった使い古しのワープロ(その名も文豪ミニ)を借りる。


しかし、僕は文学少年であったわけでなく、吉本ばななの

キッチンも最後まで読めなかったぐらいだ。

海外のどこかの宿で中上健司は読んだ。

そうだ、文豪とは大酒のみだ、

あとはウィスキーだ、当時コンビニにあった無頼派という

ボトルをワープロの横に置く。


よし、格好は整った。


バイトは飯代と家賃が稼げばそれでいい。

田舎の田舎に仕事はあるか、ある。田んぼに囲まれた

中にもラブホテルはある。

清掃員、求人中だ。ばっちりだ。


ワンルームでワープロのスイッチを入れて画面と向き合い

ウィスキーを飲む、目をつむり直木賞の文豪の神が

降りてくるのを待つ。

待っているうちにいつの間にか寝ている。


ワープロと向き合っている時間以外は

埼玉には海はないはずだったが、リヴィエラという

名のホテルで仕事に励んだ。


母親と同じぐらいの歳の先輩について清掃の

イロハを動きながら学ぶ。


客がいた部屋の扉が開き、エレベーターが

閉まった(実際は見えないのだが)瞬間、エプロンの胸に

手で千切ったガムテープを張り付けて、

七つ道具が入ったカゴを手に前かがみで足音立てずに

前進し部屋へ入る、

この時、先輩の尻に僕の頭がくっつくくらい隙間を開けず

一心同体で前進するのだ。


そのままの前かがみの姿勢でコロコロを転がし

床の毛をとり、バナナの皮はゴミ袋に捨て、

シーツをはがして丸めたら、先輩との共同作業。

パッと広げた先輩のシーツをベットの反対で僕が

手を広げ受け止めて2,3,4,5でベットにかぶせる。


洗面所の蛇口、鏡の水汚れをキュッキュと拭いて

風呂場に入って客が股を洗ったスポンジで

浴槽汚れをこすり、客が股を吹いたタオルで

水けをきって拭き上げる。


最後に浴槽にジャンプして入りエプロンの胸に

張り付けたガムテープを手に持ち細かな毛を

ペタペタして終了だ。


今の仕事と大きく違うのは、お客様に見られてはいけない

ということ。

先輩、でもどうしてもどうしてもすれ違ってしまう場合は

どうしたらよいのでしょうか、


その時は、壁になりなさい、目をつむり人間の生気を

消しなさい。


はい、わかりました。


約一年後、執筆活動はそれなりに、

酒量は増え続け、日の当たらぬこのローテーションは

飲みすぎて倒れるくらい退屈になってきた。


外に出て働きたい。

そう思ったとき、旅行時代の資料の中から一枚の

名刺が降ってきた。

オーストラリアにいた時に出会った人のだった。


添乗員○○男、株式会社○○トラベル。


5年ぶりに東京さ行ったのはバイトの面接。



先輩、ぼく次の仕事が決まりました。

来月でやめますが戻ってくるときはまたここに

戻ってきます。


と、Jリーガーが海外へ移籍するときの様な挨拶を

すると先輩は、やめないで!と泣きついた。

あなたには、私にはもう見えない毛が見えるのよ、って。


確かに僕の毛取りの技術は先輩を超えていた。

さっと浴槽に入るのにジャンプした瞬間胸の

ガムテープははがしてる。

着地と同時に一つ目の

毛をとり、右の毛を取るときにはもう目は左側の

毛を見てる。

ロナウジーニョばりのノールック毛取りだった。


人間としての生気を消し壁になることも完璧だった。


文豪ミニは実家に戻ったが、今はこの家の押し入れに

眠っている。最後に見たのは10年ほど前、若気の

お恥ずかしい作文が綴られていた。



添乗員になったとき、まずはお客さんの目を見て、

そして自分は人間である、というところから始めて


こういう仕事があることも知らず、

またアルバイトと思って初めて見た仕事も

はや14年。、、、、、、


Jリーガー、アカデミー賞監督、直木賞作家

どれも口から出まかせで、

ドーモスミマセン。 チャンチャン。



クロアチアにご参加いただいたお客様、

どうして添乗員になったのか?

とのご質問。

こんなところです。


この話は質問があったとき

すごく時間があって、歴史的な説明もうまくいってるかな

って、自分に安心感があるときにたまにします。


結婚話、出会いの話は、

仕事帰り、パイロットの格好をして家への農道を

歩いていたら向こうから美女が来て、なになになにとか、


あぜ道を自転車に乗っていたら、向こうから美女が来たので

田んぼに転んでみたら助けてくれた、とか


そんな感じでしか話していないと思う。


過去にポルトガルのファドの話をした時に、

実際のことを一度話した事がある。


おもしろいかなぁ、これも後で話させて下さい。


明後日からブラジル、レンソイス、リオデジャネイロ、イグアス

の添乗です。