こんばんわ、添乗員の森田洋平です。楽しい土曜の夜をお過ごしのことと思います。
僕は誰かに読んでいただきたく暗い部屋で左右の人差し指を器用に動かしコツコツやってますが
これがサッパリです。さあ、気を落とさずもう一本、と行きたく、この旅わずかに撮った写真を載せると
また真っ暗、洞窟に続きまた地下です。写真は(お客様のカメラで)撮るのが専門で自分の写真を撮るには
まだ板についていないわけで、、、たまにあっ撮ろうかと言う緊張の取れた瞬間は一人になれた気がする
地下の暗闇なわけで、、、、。

ここは、クロアチア、スプリット。アドリア海に面した人口18万人の特に戦後のユーゴ時代に工業化され造船業はじめ工業都市として大都市となるも、ギリシャ時代から中世と今も昔も海岸線ダルマチア地方の中心都市として歴史を持つ街。
このくらい地下は果のローマ皇帝ディオクレティアヌス(在位284~305)が、退位後死するまでの8年間暮らしたその名もディオクレティアヌス宮殿も地下空間だ。
305年トルコのニコメディアで自らの引退式後群衆の前から姿を消し、かねてから用意していたこの宮殿に馬を走らせたと。生まれ故郷サロナの街ではさすがに静かな余生は過ごせぬと20キロ離れた、当時の寂れた漁村だったこの地を選んだと言う。3万㎢東京ドーム3分の2の大きさ、東西150m、南北200m、四方高さ20mの高さの壁が囲うなか、キャベツを作っていたという。
で、暗い中当時ローマが治めていた版図でデカすぎる(わかりません)。デカすぎなので皇帝は版図内にもう一人の正帝に腹心の部下マクシミアヌスを立てそれぞれ西と東に、その下に副帝としてガレリウスとコンスタンティウス・クロルスを置きさらに東西を二分する、四分割統治をした、と言う図が張られている。

皇帝は313年に死去する。7世紀にサロナのローマの末裔が住む町がスラブ人に責められ、廃墟と化した宮殿及び周辺に現代へ続く街の歴史が始まったと言う。
地下部分は1700年の地上のごみで覆い尽くされていたが、60年ほど前から発掘が始まり、土にかえった1700年のごみが取り除かれている。このアーチの奥はまだゴミ。

しかし取り除くと上のレストランが崩れてしまうと言う。明かりの奥は厨房です。しかしローマアーチは強い。
地上も十分すぎるほど時代を残してます。
尻つぼみですが、眠くなってきまして、どうしよう、、、、
でも、クロアチアは楽しい、奥が深くどこへ行っても見せられる。
写真は少ないけど文章で、上手く伝えたいのだけど、、
また書こう。とりあえず送信しよう。