ちょっとしたイベントがあり、しばらくブログから遠ざかっていました。
イベントも終わり、ひと息ついたので、また少しずつ思ったことを書きたいと思います。


最近の次男。
元気で、素直で、茶目っ気たっぷりです。

ああ、小さな頃はこんな子だった、と思い出しました。
自分で決めたことだから、バイトも休まず、免許取得も順調です。

そして、進学間近な中学時代の友達と別れを惜しむかのように毎日遊びまくってます笑。



3年まえ、うつを疑い精神科に行ったことが遠い遠い過去のようです。

中学3年から高校1年(高校、行ってないですけどね)にかけて、昼過ぎ、ひどい日は夕方まで起きず、一番ひどい時は私も起立性を疑いました。

当時、それを診断する病院がこの辺にはなく、治療に至ることはなかったのですが、今思えばそれでよかったと心から思います。



波動的観点で言えば、思考が自分の現実を作ることが大前提にあるので、学校に行きたくないという心理がうつ症状や起立性を引き起こしたと、私は思っています。



話は逸れますが、たくさんの病名は必要ないのです。

心が身体の不調を起こすのだから、心に素直になればいい、自分がどうしたいのか、素直に従えばいい、とてもシンプルなことです。

脳ではなく、心が身体と繋がっているのです。

理屈で考えるのは頭、感覚的に感じるのは心です。

眠いから寝る、お腹が空いたから食べる、寒いから暖かくする。

この人、好き!という感情も理屈ではありませんよね。



人は、もともと感覚の生き物なのに、教育により論理的に頭で考えることのほうが崇高だ、感覚で行動するのは人間以外の下等な生物だと刷り込まれます。

そして人は学校で教育を受けなければならないという考えも頭に刷り込まれた後付けの一般常識なのです。

そこに縛られると、にっちもさっちもいかなくなります。

学校に行くとしんどくなる、だから行かない。

こんな子たちは素直に感覚に従うことができる子供です。

身体の声を聞く、とはこういうことなのだと思います。

ミナミAアシュタールの情報によると、万物共通の真実はとてもシンプルで、難しい説明は要らないと言っています。



もし、好きな時間に登校できる学校があったとして、起立性を単独で発症するなら、不登校児は生まれません。

私が知っている限り、不登校と起立性はもれなくセットです。

昼間起きられないから不登校になるのではない、逆なのです。

行きたくないから、起きられない現実を自分で作るのです。

反論は大いにあるでしょうが、少なくとも次男の様子を見る限り、私はそう思います。



学校に行きなさい、学校に行かないと、とんでもない人生になるよ、と、圧力をかけていませんか。

そんなことはありません。

学校に行かない選択肢は必ずあります。

まず、親が子より先にその洗脳を解く必要があると思うのです。