電線について書こう、書こうと思っているうちに日付が経ってしまった。今日こそ重い腰をあげて書こうと思う。

 

 他の人は電線に何かを感じることはあるのだろうか。

 

 私は割と電線が好きだ。

 電線自体というより電線が入っている景色が好きである。なんとなく人のあたたかみを感じるというのが主な理由だ。電線が電柱同士を繋いでいる様子が人同士が繋がっている様子に見えて愛しい気持ちになるのである。空の景色も電線が入っている写真の方が、空の深みも増していいのだ。

 

 最近は電線は危ないという理由で東京都内では地下に電線を埋め込むことで地上に電線や電柱がない地域もある。銀座などが主にそうだ。その景色はとてもスタイリッシュで近未来的であり、すごくかっこいいと思う。しかし、どこかひんやりとした感じがしてしまうのである。

 

 ここでふと思った。私たちが想像する「近未来」の多くは無機質な感じのものではないだろうか。例えば、真っ白をイメージされた空間であったり、無駄なものを排除したようなイメージのものである。

 

 これは当たり前といえば当たり前なことである。なぜなら私たちが想像する近未来というものは人力で行われることが少なくなっていることだからである。ロボットやAIが多く使われるということは、人以外のものが多く使われる。必然と無機質なものが多く使われ、目にするということである。そして、私たちが無機質と聞いた時に想像する色はグレーや白が多いのだろう。だから近未来を予想して描かれているものは白を基調として無機質な空間であることが多いのだ。

 

 では逆に少し昔に戻った時に想像されるのはどのような空間だろうか。私が思うに多くの人が想像するのはオレンジなどの暖色を基調とした空間なのではないだろうか。これも先ほどと同じように考えられる。昔ということは今よりもロボットやAIなどの無機質なものが、その技術が発展してないが故に日常で使われることが少ない。つまりは人力で行われるものが多いし、人が普段目にする景色の中で多く占めているのだろう。よって目にする範囲の中であたたかみを感じる。そして暖色はその名前の通り、暖かさを感じる色である。だから昔を想像して描かれるのは暖色が多めに描かれていた空間なのだ。

 

 色を見ただけでなんとなくその絵の温度感がわかるというのは結構面白い話だと思う。水色とオレンジを出されて、どちらが暖かいと聞かれたら、世界中のほとんどの人がオレンジを指すだろう。私たちは何も考えずにその考え方、感じ方を習得し、できるようになっている。当たり前に寒色と暖色を使い分けているし、それは普通のことであるが、改めて考えると面白いなぁと思う。

 

 結局、電線の話から大きくそれてしまったが、最近ずっと書こうと思ってたことと今日ふと思いついたことを書けて満足である。

 

 今書きながら、気づいたけど、電線は黒色で寒色でも暖色でもない。それなのに私は暖かさを感じたから、不思議だ。糸は「人と人とを繋ぐもの」という意識が根底にあるから、電線も糸の一つと考えて、「糸」という点であたたかみを感じているのであろう。