家から駅に向かうまでの道で鍵の落としものを見つけた。昨日の昼も置いてあったからずっと置きっぱなのだろう。



見たところ、自転車の鍵のように見える。私はスペアも一緒にくっつけているところに笑ってしまった。スペアの意味がないではないか。

この落としものの主は気付かないのだろうか。丸一日経ってもここに置いてあるということはこの信号を普段使ってる人ではないのだろうか。友達とサイクリングでもしたのか。近くにあるセブンにたまたま立ち寄ったのか。抜けている人なら未だに鍵を落としたことに気付いてないのかもしれない。笑

鍵を落とすことは意外とよく起きている。不思議なものだ。鍵はその鍵にしか開けられない鍵穴がついている。つまり落としてしまえば鍵も鍵穴もその意味をなさなくなってしまう。それほど重要なものなのに何故落としてしまうのか疑問を感じえない。

これと同じに思うのは言葉、会話である。相手の言葉にぴったり合う言葉を返せればその会話は盛り上がる。見当はずれなことを言えば場が凍りつく。人付き合いも似たようなものである。鍵と鍵穴のように自分とぴったり合う人がいれば奇跡である。ブルゾンではないがこの世界には70億人の人がいるのだから。

人間は鍵のように決して変えられない形をしているわけではないからその人と付き合っていく内に鍵の形状も変わるだろう。自分の鍵を変えたいと思うほどの鍵穴を見つけてみたいものである。