お陰様でまた大きな挑戦が無事終わりました!


ご来場ありがとうございました!


もちろん反省点は多々あるのですが、また少しドイツ語ともシューマンとも音楽とも仲良くなれた気がします。


かのディースカウ大先生は、20歳くらいの頃?に、

「今わからないことも30年後にはわかるだろう」

とのたまったその30年後に、

「わからないことが増えた!」

と言っていたそうです。


ディースカウ大先生でもそうなんだから、僕なんかが遠く及ばないのは当たり前だと思いますが(というかすでに今生かけてもどれくらいわかるか自信がない)、それでも少しずつ頑張っていきたい所存です。


むしろわからないことを増やすことを目標にしてしまおう。


というわけで二つのリーダークライスをとりあえず手をつけることが出来たので、次はなにをやろうかまた楽しみが増えました。


しかしぶっちゃけ3月にリーダークライス39をやって6月にリーダークライス24はスパンが短すぎてきつかった💦


まあでもとりあえず終わったのでよしとしてしまおう!


次のドイツリートチャレンジは11月!


一度初心に戻ってベートーヴェンの「遥かなる恋人に寄せて」を見直してみようかなと思っています。


2年前よりは少しは上手に歌えるはず!


乞うご期待!


9.
きれいなミルテの花とバラの花で
いい匂いのする糸杉と金箔で
この本を棺のように飾ろう
そして僕の歌もその中に入れよう

そこに愛も入れられたらいいのに!
愛の墓の上に平和の花が育って
花が咲いたらそれを摘む人もいる
でもそれは墓の中の僕だけのために咲いているんだ

この歌はその昔
エトナ山から湧き出る溶岩のように荒々しく
心の深くから飛び出して
辺りに火花を散らせたんだ

今は口も利けず死んだように横たわり
冷たく固くなって色褪せている
でも愛の魂の力で
また昔の情熱が甦るだろう

僕の胸には様々な予感がある
愛の魂がそれを溶かし
いつか君がこの本を手に取る
遠く離れている君が

そして歌の魔法は解けて
かすれた文字が君を見る
美しい瞳に訴えるように
悲しげな愛の吐息をささやきながら



なんか急に大人になった!

でもなんかすごく良くないですか!

「僕の歌」っていうのは「彼女への想い」だと思うんですけど、お花とかで綺麗に飾って封印してしまおうと。

そのお墓の上にもいずれは花が咲き乱れて、その花は自分だけのために咲いてる。

エトナ山という火山のように激しく熱い恋をして、時には自分が、時には相手に火傷をさせてしまったこともあった。

想いが成就しなかった今では、その想いは見る影もなく鎮火されてしまったけど、またいつか「愛の魂の力」で復活するだろう。

「愛の魂の力」ときたもんだ!

もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対!

本(歌=想い)の封印が解けて、彼女がそれを手に取る時が来るかどうかはわからないけど、そしてこの期に及んで彼女にまだ未練ありそうな感じだけど、そのくらいは大目にみてあげましょう。

かくして、彼も失恋を棺桶に葬るのでした。

「詩人の恋」の詩人くんもそうでした。

詩人くんの方は最後まで恨み節で通して、最後の最後でピアノの後奏に救われる形でしたが、今回は第八曲目の時はどうなるか心配でしたがこの第九曲目が始まるまでの間に自力でなんとかしてくれてました。

「愛の魂」が、全ての人の上に舞い降りますように。

8.

初めの頃は絶望的で

耐えられないと思っていた

それでも耐えてきたわけだけど

どうしてかは聞かないで欲しい




みじか!

なかなか想像力を掻きたてられる詩ですよね。

どうして耐えられたのか聞きたい!!

でも聞いちゃダメ!

でもほんとは聞いてほしいんじゃないの?

ほんとに聞いて欲しくなかったら、言わないでよくない?

まあそこは置いといて。

話の流れ的に普通に考えたら、彼女の態度に耐えてきた、とか、失恋の辛みに耐えてきた、とかだと思いますよね。

ところがどっこい。

一説によると詩人のハイネが、
「履けないと思ってた靴に耐えた」
という詩だそうです。

靴かい!!

でそういう詩と知ってか知らずかシューマンはわりと絶望感に満ちた曲にして、この連作歌曲の後ろから二番目に持ってきたわけですが(知ってたらまた随分とこのリーダークライス全九曲の意味合いも変わってくるな。まあ知ってた上でそういう背景は歌詩を聞いただけではわからないからやっぱり失恋に耐えたでいいと思うけど)。

靴の話と聞くと靴好きの僕としてはスルー出来ないんですよね。

J.M.ウエストンという靴のブランドがありまして、ここがまた異常なまでのタイトフィットを薦めてくるのです。

特にローファーは紐がない分初めはもう履けないんじゃないかと思うくらいきついサイズを薦められて、何度も諦めそうになりながら、それでも足に馴染むよう我慢して我慢して履いて、ようやく最高のフィッティングを得られるのです。

これを「修行」と言います笑

ではなぜそれに耐えられたか。

僕の場合は、どうして耐えられたのか教えちゃいます。

「高かったから」です笑

とまあ話が逸れたような逸れてないようなですが、とにかく耐えてきたけどどうしてかは教えてくれない歌です。

失恋の耐え方はまたいずれ。