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ACIM Central Heart ~ホーリースピリットとともに~

日々の生活を「奇跡のコース」を学ぶ為の材料とし、ホーリースピリットとともに生きています。時々一人で歩きだして、途中で転んでひざ小僧をすりむいたり、自分のいる場所が分からなくなってしまうこともありますが、ホーリースピリットはいつも一緒にいてくれています。

ある行動を起こそうとは思うけど、


面倒臭いなぁ・・・って億劫に感じる時、


こころの奥では、「やらなければならない」 と、


自分で自分に、強制している。



強制していながら、なんとかやらなくて済むように、


やらない理由を正当化しようと、思考をめぐらしている私がいる。


ほぼ100パーセント、相手の非(と見えるもの)を持ち出し、並べ、


やらなくてよい理由をみつけようとしている。



そんなときは立ち止り、


ホーリースピリットにこころを向けると、気付くことがある。


その行動は、


愛が動機になっているのか、


犠牲(恐れ)が動機になっているのか。



愛が動機となっているのなら、行動を起こすにあたって


わざわざ、しのごの言う必要はない。


ただ愛を、そのまま表現(行動)すればいい。



犠牲が動機となっているのなら、行動を起こす前に


ホーリースピリットに知覚の訂正をお願いする。


自己犠牲の気持が少しでもこころをよぎったら、


そのままにはしないで、


ホーリースピリットにその感覚を差し出し、訂正してもらう。



すると、本当のことが見えてくる。


愛を表現するのに、自己犠牲なんて、まったく必要ではないということが。



私達は人との関わりのなかで、


愛と自己犠牲を混同していて、


自己犠牲が愛の表現であると間違えてしまう。



自己犠牲に、甘美な諦めを見出し、


見返りに愛を返してもらえると、期待している。



もう、このことで、エゴの仕組みをぐるぐると繰り返したくはない。


ただ、愛は愛としてだけ在る、ということを教えて下さい。




なんて、色々書いているけど、


じつはただ、帰省してくる姉家族と兄家族のお布団を、


私が敷くのか?という迷いから生じたこころの葛藤(笑)


いつもしていることだけど、何となく府に落ちない気持がずっとあったの。


でも、今回、ホーリースピリットに託したら、すっきりしました。


ありがとうチューリップ黄チューリップ赤チューリップピンク